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ネット版 改善改革探訪記 №248
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「日本にないものをわが手で」生み出した皮革業界の発明王ut

 新田長次郎翁事績探訪記


動物の皮革は、日本では、武具・馬具・太鼓など、わずかな場面で使われるだけだったが、明治に入って軍隊が洋式化され、兵士が靴を履くようになって、大きな需要が生まれ、大規模な皮革産業が興った。

20歳で四国松山から大阪に出てきた新田長次郎は、そのひとつ、藤田組製革所に入所して、ドイツ人技師、ハイトケンペルから伝統的な製革技術を学び、やがて自ら皮革工場「新田組」を起こした。あるとき、紡績機械と蒸気機関をつないで回転を伝える伝動ベルトの製作を依頼され、英国製ベルトを研究。それを上回る品質のベルトを作り上げ、やがて、全国の紡績会社からの注文を受けるようになった。さらに各地の海軍工廠の指定工場ともなり、国内の伝動ベルト市場を席巻した。

動物の皮を鞣(なめ)すとき、ある種の植物からとったタンニンという物質を含んだ液に浸すという重要な工程がある。タンニンを含んだ植物は当初山陰や讃岐から買い入れていたが、ほとんどとりつくし、北海道に自生する槲(かしわ)の樹皮からもタンニンが取れることに着目。3万ヘクタールに及ぶ十勝地方の原生林を取得し、現地に工場を建設、タンニンを抽出して大阪に送った。さらに、伐採した後の槲の木からベニヤ板を製造してそれを輸出したり、伐採跡地を牧場に変えて、牛や馬の牧場事業、酪農事業、植林事業などにも進出した。

長次郎は青年時代に福沢諭吉の「学問のすすめ」を読んで感銘を受けた。特に「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」という言葉を座右の銘とし、従業員を会社の宝だとして大切にし、発明工夫を奨励した。

大阪の本社工場の近くで貧困のために学校に通えない子供たちのために夜間小学校(有隣尋常小学校)をつくるという計画に支援を惜しまなかった。さらに故郷に「松山高等商業学校(現松山大学)」を設立するための資金援助も2つ返事で引き受けたが、学校運営に一切口を出さなかったほか、新田の名前を出すことも、さらに当初は卒業生を自社に採用することもかたく断っていたという。

●本文 → nitta-chojiro.pdf

●ニッタ株式会社のURL → nittagroup.com

●掲載先 → リーダーシップ 2022年3月号
(発行元・日本監督士協会のURL:
http://www.kantokushi.or.jp/


渡良瀬川水電に納入された革ベルト。写真クリックで本文表示


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