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ネット版 改善改革探訪記 №249
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稲むらに火をつけ人々を津波から救った商人ut

 濱口梧陵翁事績探訪記


口梧陵(儀兵衛)はヤマサ醤油の経営者で、実家のある紀州広村、販売拠点のある江戸、醤油工場のある利根川河口の銚子を行ったり来たりして経営に当たっていた。1854(安政元)年11月5日、梧陵がいた紀州広村を地震が襲った。その後に津波がやってくると気づいた梧陵は、村人たちに村で一番高いところにある八幡神社に逃げるように声をかけて回り、日が暮れてからは、村の若者とともに、田んぼの中の稲ムラに次々火を放ち、村人たちはその明かりを頼りに八幡神社に逃れ、村はほとんど犠牲者を出さずに済んだ。

この話は「稲むらの火」と題して後に小学校の国定教科書に掲載された。話はさらに海外にも伝わって、津波の起きた11月5日は「世界津波の日」に制定され、旧広村を含む和歌山県広川町は「津波後の復興の記憶が生きる町」として日本遺産に認定され、梧陵の旧宅は地域防災を語り継ぐ拠点として「稲むらの火の館」として一般に公開されている。

村人の生命は助かったが、彼等は家、田畑、舟と漁具を失い、生きるすべを失った。梧陵は彼らに仕事を提供するという目的もあって、紀州藩の許可を得て、海岸に新たな堤防を築いた。高さ5m、根幅20m、長さ600mの堤防を築くのに1日に400500人、延べ5万6000人に及び、梧陵はこの間の日当を負担した。この堤防は1946(昭和21)年の南海地震による津波の防災に大きな威力を発揮したという。

紀州藩はこれらの働きを高く評価して、梧陵を勘定奉行に、次いで参政に任命。以後梧陵は政治の世界に入り、明治政府の駅逓頭(郵政大臣)や初代和歌山県会議長などを務め、憲法発布と国会開設を前に先進諸国の憲法と国会の姿を学ぶために渡米中、病に倒れ、米国で客死している。 

●本文 → hamaguchi-goryo.pdf
●取材先:稲むらの火の館
●掲載先 → リーダーシップ 2022年4月号
(発行元・日本監督士協会のURL:http://www.kantokushi.or.jp/


広川町役場前の松明を掲げる梧陵の像。写真クリックで本文表示


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●稲むらに火をつけ人々を津波から救う
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●被災した村人の生活を守るために堤防を築く
http://www.souisha.com/jirei14/1406.html#13

●郷土の若者に教育を残す →http://www.souisha.com/jirei14/1401.html#16