改善の事典 》 第14章 社会 》 次の世代を育成する | |||||||||
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社会‐1406c 次の世代を育成する | |||||||||
このページの掲載事例→ | ●1406c01 工場内にビオトープをつくる | ||||||||
●1406c02 子どもたちのためにメッキ教室を開く | |||||||||
●1406c03 木の家設計グランプリを開催する | |||||||||
●1406c04 徳風小学校を建てる | |||||||||
●1406c05 有隣尋常小学校と松山高等商行学校を建てる | |||||||||
●1406c06 早川商工青年学校を設立する | |||||||||
●1406c07 郷土の若者に教育を残す | |||||||||
【1406c01】 工場内にビオトープをつくる | |||||||||
■乾式トナー、感熱紙、熱転写リボンなどのOAサプライ製品を製造しているリコー福井事業所では、大量の電気、大量の灯油を消費。大きな環境負荷を発生させており、社会的責任の一環として「環境経営」を推進している。 ■8S活動(5Sをしっかり、しつこく、信じて推進する活動)、TPM活動、現場のプロジェクト活動などを通じて、CO2排出量削減、ゴミゼロに向けた改善を展開しているが、それと並行して、地域社会の環境問題への啓発のために次のような活動を行なっている。 ■工場構内にビオトープをつくり、工場見学に訪れた子供たちにメダカやザリガニと遊ばせるとともに、環境担当マネジャーが「自然教室」を開講。私たち人間が環境を破壊していることを自覚し、省エネ・省資源の大切さを説いている。 ■地元の中学校で「温暖化ストップ大作戦」を提唱。家庭で省エネ活動を展開。1年前と比べてどれだけ節電できたかを競い合うよう呼びかけた。社内でも同様の「大作戦」を展開し、家庭内で節電効果を上げた上位チームを表彰。メタボリック症候群対策を兼ねてマイカー通勤を自転車通勤に切り替える運動も実施した。 取材先 リコー福井事業所 |
工場構内のビオトープ |
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【1406c02】子どもたちのためのメッキ教室を開く | |||||||||
■このことを伝え聞いた各地の学校や施設から、ウチでも「めっき教室」を開いてほしいという依頼が入るようになり、入社2〜3年目の若い社員がめっき教室の講師役を勤めている。また、会社のホームページでも「めっき教室」を開講し、めっきとは何か、めっきはどのように役に立っているか、めっきの歴史…などを分かりやすく解説している。 取材先 清川メッキ工業 |
めっき教室 |
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【1406c03】木の家設計グランプリを開催する | |||||||||
■日本建築のすばらしさを再発見し、さらに高めていくことをめざして、谷口工務店では何人か建築家の協力を得て「木の家設計グランプリ」を開催している。 ■建築学科に学ぶ学生の多くは大手ハウスメーカーを目指すが、伝統的な木の家のすばらしさをもっと見直してほしい…という思いから始めたもので、建築学科のある全国の大学、専門学校、高校の学生を対象に、設計図と模型写真、プレゼンテーション動画での参加を募り、作品審査で上位に入賞した人たちを審査員が面接して各賞を決定。賞状と賞金を贈呈している。 ■建築関連会社、新聞社、建築家養成学校…など数十の会社団体の協賛を得て、資金援助してもらっている。 取材先 谷口工務店 |
木の家設計グランプリの審査風景 |
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【1406c04】徳風小学校を建てる | |||||||||
■クボタの創業者、久保田権四郎翁(1870-1959)には、幼児期の貧困の記憶がいつまでも残っていて、自分と同じような境遇にある子供たちのために何かを残したいと思っていた。 ■1911(明治44)年、スラム問題に関心を持つ浪速警察署長、天野時三郎から、貧困のために不就学になっていた子供たちに学習の場を与えたいという相談が持ちかけられたとき、権四郎は夜学の小学校の設置に資金を提供することを決め、それによって大阪市南区南高岸町(現浪速区)に、「徳風小学校」が誕生した。 ■権四郎はこのほか、故郷、因島にも多額の寄付をしており、その寄付によって島内の道路が整備されたり、小学校き講堂や敬老会感が建てられたことを記録する碑文が島内各地に残っている。 取材先 k1/10/27 |
徳風小学校開校を伝える 大阪朝日新聞の写真 |
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【1406c05】有隣尋常小学校と松山高等商業学校を建てる | |||||||||
■ニッタグループの創業者、新田長次郎(1857-1936)は、1911(明治44)年、地元の警察署長からの要請に応じて、貧困で小学校に行けなかった少年少女のために大阪市内に有隣尋常小学校を設立した。 ■また、1922(大正11)年、には、郷里の松山高等商業学校(現松山大学)の創立のために、自身が大阪市内所有していた土地を売却して30万円を寄附している。 ■ただし、金は出すが、経営には一切口を出さず、学校名や学校行事に「新田」の名を出すことも断った。さらに、教育を受けた人材を囲い込むためではないこと示すために、卒業生を会社に採用することも断っており、同社が卒業生採用の禁を解いたのは会社創立100周年以降のことである。 取材先 ニッタ |
有隣尋常小学校(現大阪市立栄小学校) と松山高等商業学校 |
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【1406c06】早川商工青年学校を設立する | |||||||||
■夜店でキズものの鉛筆を売っていたときは、ビール箱に腰を掛け客待ちをしながら書物を開き、鉛筆で書きながら文字を覚えたという。 ■そうした体験から、若いうちにきちんと勉学に励むことの大切さを痛感し、自社工場の従業員のために1937(昭和12)年、私立早川商工青年学校を設立した。 ■シャープは後に「信用」・資本・奉仕・人材・取引先」の「5つの蓄積」を掲げたが、早川商工青年学校の設立は、まさにその中の「人材の蓄積」を目指したものだった。 取材協力:シャープミュージアム |
早川金属工業研究所と従業員(1924) |
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【1406c07】郷土の若者に教育を残す | |||||||||
■濱口梧陵翁はヤマサ醤油の経営の傍ら、外国から開国を迫られているこの国の行く末を憂え、国を守るために若者たちの教育が必要だと考えた。 ■郷里の紀州広村で「崇議団」若者たちの自警組織を結成。その後「広村稽古場」を開き、指導者を招いて剣術、国学、漢学を教えた。 ■「広村稽古場」は後に「耐久社」と名前を変え、現在の広川町立耐久中学校と和歌山県立耐久高等学校に繋がっている。 取材先 稲むらの火の館 |
広川町立中学校敷地内の耐久社の建物 |
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