改善の事典 》 改善改革探訪記 》 №268 |
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ネット版 改善改革探訪記 №267 |
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森永製菓の創業者、森永太一郎翁の事績を訪ねて |
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森永太一郎翁事績探訪記 | |||
■森永製菓の創業者、森永太一郎翁(1869-1965)は、佐賀県伊万里市の陶器商の家に生まれた。幼くして父と死別。再婚した母とも別れ、親戚の間を転々としながら育てられた。叔父の手ほどきで天秤棒を担いで陶器を行商し、アメリカで陶器を販売するために、19歳でアメリカに渡った。 ■しかし、陶器はアメリカでは全く売れなかった。 ■太一郎はやがて、キリスト教と出会い、洗礼を受け、神の教えを伝えることこそ自分の使命だと確信して帰国。布教をめざした。しかし、誰からも相手にされず、自分の役割は洋菓子職人になることだと考え直して、再び渡米。洋菓子づくりの技術を身に着けて帰国し、1899(明治32)年、東京赤坂溜池の小さな工房で洋菓子をつくり始めた。 ■太一郎は自分のつくったマシマロ―やキャラメルを載せた箱車を牽いて、キリストの教えを説きながら、それらを売り歩いた。これが評判となって、各所から注文が入るようになり、内国博覧会で入賞。以来、多忙を極めた。 ■その後、松崎半三郎と出会い、懇願して営業を担当してもらい、自分は製造に専念しすることで、国内最初の洋菓子メーカーとして大きく発展した。
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伊万里駅前の森永太一郎像。画像クリックで本文表示 |
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