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ネット版 改善改革探訪記 №266
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日立鉱山と日立製作所の創業者、久坂房之助翁の事績を訪ねて

  久坂房之介翁事績探訪記

日立鉱山(現JX金属)と日立製作所の創業者、久原房之介翁(1869-1965)は山口県萩藩の農民の出身。父、庄三郎は大阪に出て弟の藤田伝三郎とともに藤田組を起こした。藤田組は旧藩主の毛利家から資金供与を受けて十和田湖の南、小坂鉱山を手に入れ、房之介は藤田組の一員としてこの鉱山の経営に当たった。枯渇しつつあった金銀の採掘に見切りをつけ、新たに銅の鉱脈を発見し、その開発に成功したことで、藤田組に莫大な利益をもたらした。

その後、藤田組と袂を分かち、そのときの財産分与で得た資金で茨城県多賀郡の銅山(日立鉱山)を買収。小坂鉱山で一緒に働いた小平浪平らの協力を得て、周辺7カ所に水力発電所を建設して、蒸気機関の時代に電気を動力として銅鉱石から電気銅までの一貫生産体制を作り上げた。この日立鉱山の電気機械製作事業が「日立製作所」の始まりだった。

日立鉱山は第一次大戦中のヨーロッパに銅を売って莫大な利益を得たが、戦後の不況で経営困難に陥った。房之介は妻の兄、鮎川義介に、この会社の経営を託し、自らは政界に転身。田中義一内閣の逓信大臣を勤め、その後は国会議員として活躍した。

日立鉱山を託された鮎川義介は、これを「日本産業株式会社」と改称。傘下に、日本鉱業、日立製作所、日産自動車…などを納める「日産コンツェルン」を作り上げた。

●本文 →  kuhara-fusanosuke へのリンク
●取材先 日鉱記念館(茨城県日立市)
●取材時期 2024年11月16日
●参考文献:古川薫著「惑星が行く」(日経BP社、2004)
●掲載先 → 日本監督士協会編 リーダーシップ 2024年12月号


日立鉱山の歴史資料を集めた日鉱記念館画像クリックで本文表示
 



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