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ネット版 改善改革探訪記 №265
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三井・三菱を凌ごうとした鈴木商店の大番頭

 金子直吉翁事績探訪記


第一次大戦(1914-1918)中、ヨーロッパでは物資が不足し、その需要に応えたのが日本だった。神戸の鈴木商店はその先頭に立って、アメリカから鉄を買い付け、神戸の造船所で次々船を建造してヨーロッパに売り込んだ。

「互いに商人としてこの大乱の中で生まれ、世界的商業に関係せる仕事に従事し得るは、無上の光栄である」鈴木商店の大番頭、金子直吉は社員にそう説いた。

「たとえば、豆が戦争のためにどうなるか、戦後の樟脳の需要がどうなるか、当店の取り扱いに係るものないし、日本の商売に関係ある砂糖、米、石炭、船、樟脳、薄荷などの需要の変遷の報告が必要なり」と海外駐在員に具体的な指示を与えている。

さらに「この戦乱の変遷を利用し、大儲けをなし、三井・三菱を圧倒するか、然らざるも彼等と並んで天下を三分するか、これを全員の理想とするところなり。行け、まっしぐらじゃ」と目標をかかげて社員を鼓舞した。事実、1919~1920年の鈴木商店の年商は三井・三菱を上回り、1917年には国家予算の2倍、GNPの1割に達したといわれる。

だが、1918(大正7)年に富山県で起こった神戸に飛び火し、鈴木商店が米を隠しているという新聞報道を信じた群衆が、鈴木商店の本社を焼き討ちした。それから9年後の1927(昭和2)年には金融恐慌で資金調達ができなくなり、会社は清算された。三井・三菱と並んでこの会社が強烈な光を放ったのは、大正から昭和にかけた10数年のことである。

現在、鈴木商店の流れを汲む会社として
、双日(総合商社)、神戸製鋼所、帝人などがある

●本文 → kaneko-naokichi.pdf へのリンク
●参考文献 「ゆけまっしぐらじゃ」
●取材先 鈴木商店記念館(https//www.suzukishoten-museum.com)
●取材年月日 2024年05月28日
●掲載先 → 日本監督士協会編 リーダーシップ 2024年10月号


鈴木商店本店跡地の碑(神戸市中央区栄町通)。画像クリックで本文表示



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●的確な報告を求める

http://www.souisha.com/jirei12/120108

●三井・三菱の圧倒をめざす→ http://www.souisha.com/jirei12/120214