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ネット版 改善改革探訪記 №264
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「日本の発明王」と呼ばれた田中久重翁の事績を訪ねて

 田中久重翁事績探訪記


田中久重翁(1799-1881)は、久留米の鼈甲(べっこう)職人の長男として生まれた、子どもの頃から自分でくふうしてモノを作るのが好きで「自分はこの道を行く。鼈甲の仕事は弟に継がせてほしい」と父に懇願し、自分のものづくりに打ち込んだ。

「機巧図彙(きこうずい)」という書物を手に入れ、それを参考に様々なからくり人形をつくった。その人形によるからくり芝居が、興行師の手で各地で演じられ、大きな評判になった。

もっと世の中に役立つ発明をめざそうと考えるようになり、大坂・京都に出て、様々な職人の力を結集し、消えない灯具をつくり、からくり時計を作った。さらに蘭学を学んだことがきっかけで、佐賀鍋島藩精錬方に招かれ、ここで蒸気船や蒸気機関車を作り上げた。

故郷の久留米藩の近代化にも力を尽くし、溶鉱炉、鉄砲、大砲などをつくった。この久留米製造所が、明治維新後、東京銀座に移設されて「田中製造所」として、生糸の検査機械や電信機など様々な設備機械の製作の注文に応じた。

久重の死後、養子の2代目田中久重は、1882年芝金杉新町にさらに大きな工場を建設。ここで、水雷管、火薬砲、電信機等がつくられたが、1893年、この工場が三井銀行に譲渡され「芝浦製作所」と名前を変えた。これが後の東京芝浦電気、現在の東芝に繋がっていく。



●本文 → 
tanaka-hisashige.pdf へのリンク
●取材先 東芝未来科学館(神奈川県川崎市幸区堀河町72-34)
●取材年月日 2024年05月28日
●掲載先 → 日本監督士協会編 リーダーシップ 2024年7月号


田中久重作のからくり人形画像クリックで本文表示



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