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ネット版 改善改革探訪記 №263
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社内報と提案制度で2ウエイコミュニケーションを図る

 武藤山路翁事績探訪記


鐘紡は1887(明治20)年に東京綿商社として創業。120年後の2007(平成19)年に解散した日本を代表する紡績会社である。この会社をその地位にまで育てたのが武藤山治(1867-1934)である。

武藤が兵庫工場を創業した1894(明治27)年当時、近畿・中国・四国・中部の各地に紡績工場があり「女工哀史」に描かれるほど過酷な労働条件の下で働く多くの職工がいた。武藤はそんな中で職工たちを大切にし、勤務条件を高めたことで多くの職工が鐘紡に流出した。

既存の紡績工場各社は、職工たちの移動を制限し、鐘紡と取引しないように呼びかけ、最後には武藤個人を襲撃しようとまでしたが、武藤の恩師の福沢諭吉と日銀総裁の岩崎弥之助が間に入って、和解を図ったと言われる。

武藤は日本で最初の社内報を発行して職工たちに会社の方針を伝え、さらに「注意箱」を設置し職工たちの要望や改善意見に耳を傾けた。これが日本の提案制度の始まりとされる。この2ウエイのコミュニケーションによって品質と生産が安定した。働く人を大切にすることで生産力を高める鐘紡の伝統が、後のトヨタ生産方式に影響を与えたと言われる。

●本文 → 
mutoh-sanji.pdf へのリンク
●取材先 國民會館(大阪市中央区大手町2-1-2 公益社団法人國民會館-武藤記念ホール (kokuminkaikan.jp)
●掲載先 → リーダーシップ 2024年5月号
(発行元・日本監督士協会のURL:http://www.kantokushi.or.jp/


日本で最初の社内報7「鐘紡の汽笛」(國民會館蔵)画像クリックで本文表示



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http://www.souisha.com/jirei09/1205a07

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