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ネット版 改善改革探訪記 №262
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「味の素」を世に送り出した鈴木三郎助翁の事績

 3代鈴木三郎助翁事績探訪記


「甘み」「塩味」「酸味」「苦味」の4つの味覚のほかに「うま味」という5つ目の味覚があることを発見した池田菊(1864-1936)は、1908(明治41)年、昆布からうま味の素、グルタミン酸を取り出すことに成功した。これを「味の素」と名付け、工業生産の道筋をつけ、世界中に広げたのが鈴木家の人々だった。

鈴木家の当主は代々鈴木三郎助を名乗った。初代三郎助は神奈川県葉山で穀物と酒の販売店「滝屋」を起こし、2代三郎助はこの店を拠点に、浜辺に漂着した海藻を集め、キズ薬、ウガイ薬、ヨードチンキなどの原料となるヨードに加工。全国有数のヨード事業者となった。

ヨード事業の傍ら、2代三郎助は、味の素の工業生産と販売を引き受け、その弟、忠治がヨード製造技術をベースに工業生産の道筋をつけた。

2代三郎助はこの調味料を入れた料理の試食会を一流料理店で開催。さらに料理界の権威にも意見を求め、この調味料に市場価値があることを確認。「味の素」というそれまでにない商品を、人々の間に浸透させていくためのマーケティングを2代三郎助の長男、3代三郎助が担当した。

本社ビルの屋上に、5000個の電球を点滅させ、お椀に味の素を入れると子供がヨダレを垂らすイルミネーションを点滅させて人々の注目を集め、並行して毎月1回新聞広告、看板、電車の中吊り広告、パンフレット、ポスターなどによる広告を展開した。

最後にチンドン屋を繰り出し、全国各地を練り歩いた。3代三郎助が印半天姿で先頭に立ち、全国各地を練り歩き、その姿のまま、食料品店、酒販店、乾物店を訪問。特約店契約を締結して販売ルートを作り上げた。台湾、韓国、中国にも特約店を設置。1917年にはニューヨークにも出張所を開設し、以来、味の素の需要は世界に広がった。

 
●本文 → 
suzuki-saburosuke.pdf へのリンク
●参考文献 味の素(株)ホームページ /味の素(株)社史(1971)/小嶋直紀著「味を求めて・三代鈴木三郎助伝」(三代鈴木三郎助伝刊行会、1989)/清水洋美著「初めて読む科学者の伝記・池田菊苗」(汐文社、2021)
●掲載先 → リーダーシップ 2024年1月号
(発行元・日本監督士協会のURL:http://www.kantokushi.or.jp/


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