改善の事典  》 第13章 お客様  》 技術を高めて新製品を生み出す
 
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お客様‐1311b 技術を高めて新製品を生み出す BACK

長年にわたる技術開発を経て生み出された新製品、新事業の事例を集めました。
このページの掲載事例→                             ●1311b01 生涯をかけて織機の開発に取り組む
●1311b02 二股ソケットを発明する
●1311b03 究極の編み機を発明する
●1311b04 エアハブで自転車をパンクから守る
●1311b05 緩まないナットを開発する  
●1311b06 遠隔地コミュニケーションシステムを開発する
●1311b07 無浸漬豆乳プラントを開発する
●1311b08 組紐の用途を広げる 
●1311b09 地中熱をハウス農業や住宅暖房に利用する 
●1311b10 シリコン樹脂で人口乳房をつくる
●1311b11 クレープ紙の新たな用途を開発する 
●1311b12 現場の問題解決の中から生まれた整品を市販する  
●1311b13 他社に先んじて開発と商品化をめざす  
●1311b14 清酒を開発する   
●1311b15 うまみの素、味の素の発明    
 
【1311b01】 生涯をかけて織機の開発に取り組む  


1885(明治18)年、専売特許条例が施行されたことを知った18歳の豊田佐吉翁は発明を志した。当初は「無限動力機械」など、わけのわからないものをつくっていたが、やがて母が機織りする様子を見て織機の改良をめざした。

■佐吉の父は、佐吉を大工として育てようとしたが、佐吉は大工修行の傍らで寝食を忘れるほどに織機の発明に打ち込み、23歳で木製人力織機を、29歳で汽力織機を発明した。

■三井物産が支援を申し出、井桁商会、次いで豊田式織機という会社が設立され、佐吉はそれらの会社の技師長として迎えられた。しかし、佐吉が発明を優先させたのに対し、あくまで経営を優先させる会社と対立、決別し、失意の中で渡米した。

■アメリカの織機を見た佐吉は、自分の構想する織機の方が優れていることを確信し、帰国して織機で紡績と織布の会社、豊田紡織を設立。この会社で生み出した資金を研究に注ぎ込み、1924(大正13)年、39歳で無停止杼換式豊田自動織機(G型自動織機)を完成させた。1人の作業者が3050台を運転できる、これまでとはけた違いの生産性を実現した自動織機だった。



取材協力 トヨタ産業技術記念館
取材 2021/11/17
掲載先 リーダーシップ2022/01
探訪記 http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki246.html


トヨタ産業技術記念館繊維館(手前は汽力自動織機)
 
【1311b02】 二股ソケットを発明する   


1909(明治42)年、15歳の松下幸之助翁は、市街地を走る路面電車を見て電気の時代の到来を感じ、大阪電灯会社(現在の関西電力)に入社した。この会社で検査員となり、配線工事に携わる中で、ソケットの改良を工夫。上司に試作品を見せたが、上司は「これではだめだ」と取り合ってくれなかった。

■そこで、1917(大正6)年、大阪電灯会社を辞め、妻と妻の弟らとともに小さな借家で、自ら改良型ソケットを作ることをめざした。ソケットは完成したものの、なかなか売れず、同じ材料で扇風機の碍盤を作る下請けの仕事で一時を凌いだ。

1918(大正7)年、手狭になった借家を引き払って2階建ての借家に転居し、松下電気器具製作所(現在のパナソニック)を立ち上げた。ここで扇風機の碍盤製造と並行して配線器具の開発に取り組み、ようやく経営が安定。その中から生まれた製品のひとつが二股ソケットである。

取材先 パナソニックミュージアム・松下幸之助歴史館
取材 2020/11/18
掲載先 リーダーシップ 2021/01
探訪記 http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki235.html


二股ソケット(松下幸之助歴史館)
 
【1311b03】 究極の編み機を発明する  


「天才少年」と呼ばれた島正博さんは、母の手袋編みの内職を観察して、16歳で「二重環かがりミシン」を、23歳で「手袋編み機半自動動力装置」を発明し、島精機製作を立ち上げた。

その後、全自動手袋編機を完成させたが、機構が複雑すぎて製造技術が追い付かず、一部の機能を縮小した全自動手袋編機(角型)を開発。これがその後の島精機製作所の経営を支えた。

その後、手袋からセーター編み機に重点を移し、コンピュータグラフィックスの技術を応用して、1995年に「ホールガーメント」横編み機を開発。「ホールガーメント」は「1着分丸ごと立体的」の意味で、プログラムを入力すれば子供服で2030分、大人のワンピースなら1時間で編み上げる。

島さんが権利取得した特許は650件、島精機製作所とし取得したものを合わせると1500件に及ぶ。中でも「ホールガーメント編み機」は究極の編み機といわれる。

取材先 島精機製作所フュージョンミュージアム
取材 2021/06/04
掲載先 リーダーシップ 2021/07
探訪記 
http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki241.html

   



手袋編み機とホールガーメント
 
【1311b04】 エアハブで自転車をパンクから守る  


自転車の車体と2つの車輪を結びつける回転軸部分をハブという。中野鉄工所(大阪府堺市)は、このハブにエアポンプを組み込んで、自転車が走るとタイヤチューブにエアを供給しタイヤチューブの気圧を一定レベルまで高める「エアハブ」という装置を開発した。

気圧が一定レベルを越えると調整バルブが働いてエアは外に逃げるようになっており、タイヤはいつもパンと張っている。自転車のパンクの多くは空気圧の低下が原因で、エアハブによって一定の空気圧を保つことで自転車のパンクは大幅に減る。

2005年「ものづくり日本大賞・経済産業大臣特別賞」を受賞。このエアハブ搭載の自転車は、中国からの安価な輸入品自転車が増える中、高機能自転車の新しい可能性を広げている。

取材先 中野鉄工所
取材 2006/0/11
掲載 ポジティブ2006/0
探訪記 http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki008.html

 


エアハブのイメージと工場の内部
 
【1311b05】 緩まないナットを開発する   


■ハードロックナットは上側の下向き凹型と下側の上向き凸型の2個のナットからなっている。凹凸部に傾斜がついていて、下側の凸型ナットは穴の中心をずらして偏心させてあり、これにより、2つのナットは互いに相手をボルト側に押し付け合い、緩みが出ない構造になっている。 

■これを発明した若林克彦さんは、若い頃、コイルバネがボルトのネジ山を押し付けて緩みにくくした緩まないナットの試供品を大阪国際見本市でみつけ、コイルバネを板バネに変えた「Uナット」を開発。さらに神社の鳥居にくさびが撃ち込まれているのを見て、1974年ハードロックナットを開発した。

■緩まない、外れない、従って点検不要のナットは、最初は阪神電鉄で、次いで新幹線で、近年は明石海峡大橋、東京スカイツリーのほか、世界中で使われている。

取材先 ハードロック工業
取材  2012/05/14
掲載  リーダーシップ2012/07
探訪記 
http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki132.htm

 
【1311b06】遠隔地コミュニケーションシステムを開発する    


SOBAプロジェクトの乾和志社長は大手制御機器メーカー、オムロンで「UNIXワークステーション」というコンピュータの開発を手掛けていた。しかし、マイクロソフト社のウィンドウズNTの登場で市場環境が変化して、オムロンはワークステーション事業から手を引き、乾さんは映像・音声・文字情報などを双方向でやり取りするネットワークアプリケーションの開発に取り組んだ。 

■プロジェクトには複数の有名大学とNTTコムウェアが参加。そこから、テレビ会議システム、遠隔教育システム、遠隔医療システムなどのベースとなるアプリケーションソフト「SOBASession Oriented Broadband Applications)フレームワーク」が誕生した。

■オムロンはこの技術を知的所有権として保有するだけにとどめる意向だったが、乾さんは事業化を強く進言。技術本部長を説得し、技術本部長から社長を説得して貰って、2006年オムロンの子会社として「SOBAプロジェクト」が設立された。同社はその後、会議システム「ソーバ・ミエルカ」、通信教育システム、遠隔医療システムなどを世に送り出し、それまでになかった遠隔地コミュニケーションの新しい可能性を開いている。 

取材先 SOBAプロジェクト
取材 2013/03/05
掲載 リーダーシップ2013/03
探訪記 
http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki144.html

 


セッションの画像(上)とSOBAスクールの画像
 
【1311b07】 無浸漬豆乳プラントを開発する  


■豆腐を作るとき、1520時間水に浸した大豆を石臼で引き、それを絞った液体(豆乳)にニガリを加えて凝固させる。時間がかかる上に、大量の水を使い、大豆の栄養分の染み出した水流すときに汚水処理が必要になるなど、コストもかかった。

■食品加工機械メーカー、潟純Cエスピーが開発した「無浸漬豆乳プラント・エコスター」は、自動的に大豆の皮を除去し、水を加えながら粉砕、加熱しすることで、わずか20分で豆乳を作る。水の使用量が激減、排水処理も軽減され、工場スペースがコンパクトになり、豆腐製造コストを大幅に削減するほか、豆乳の品質が安定し、味もが向上する。

2013年「ものづくり日本大賞・内閣総理大臣賞」を受賞。各地から引き合いが殺到するようになった。

取材先 ワイエスピー
取材 2015/07/08
掲載 リーダーシップ2015/09
探訪記 http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki171.htm

 


無浸漬豆乳プラント・エコスター
 
 【1311b08】組み紐の用途を広げる  


■撚紐(よりひも)のロープはねじれやすく、ねじれた部分に力が加わると切れやすくなる。しかし、着物の帯締めや羽織の紐などに使われてきた組紐(くみひも)でつくったロープにはその心配がない。

■ティビーアール鰍フ福井宏海社長は、先代が開発した組紐ロープ製造機によって、組紐の特徴を生かした漁網を開発して需要先を広げ、さらに環境分野の需要までとりこんで、組紐の可能性を広げた。

■水産関係の組紐製品として次のようなものがある。
[浮子ロープ]組紐の中芯に発砲スチロールを入れたもの。これを漁網の上端に取り付けて下端を深海まで沈めることで深海漁業が可能になった。
[沈子ロープ]組紐の中芯に鉛などを入れたもの。漁網の下端に取り付けると海に入れた漁網が素早く開きどんどん海中に沈んでいく。
[ループコード]枝縄にホタテ貝やカキの稚貝の耳に穴をあけて吊るし、養殖に用いる。
[ネッティングロープ]組紐ロープから大小2つのループ状の枝縄が出ていてこれを交互にくぐらせることで、機械がなくても人の手で簡単に漁網を取り付けることができる。
[人口藻]組紐ロープに枝縄をびっしり編み込んだもの。人工産卵礁として使われる。

1994年から沿岸200海里が排他的経済水域となって日本の遠洋漁業が後退してからは水産分野以外の用途開発に力を入れている。
[バイオコード]人口藻と同様に長い無数のループ状枝縄をびっしりつけたモール状ロープで汚染された水の中にこれを浸け、付着したバクテリアが有機物を分解し水質浄化する。
[レアメタル吸着ロープ]バイオコードのモール状繊維を化学変化させ特殊官能基をグラフト(接ぎ木)させ、海水中のニッケル、コバルト、クロムなどのレアメタルを吸着させ、回収する。

取材先 ティビーアール 
取材 2016/01/21
掲載 リーダーシップ2016/03
探訪記 http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki177.html

 


貝を吊るしたループコード(上)とネッティングロープ
 
  【1311b09】 地中熱をハウス農業や住宅暖房に利用する  


■土木工事にかかわる地下開発システムの会社に勤めていた福宮健司さんは、道路の融雪に地中熱を利用するシステムを開発。これを民間需要に応用することを提案したが、取り上げられず、2008年、自ら潟Aグリクラスターという会社を立ち上げた。

■福宮さんの地中熱利用事業構想は「埼玉県いちおし起業プラン大賞特別賞」を受賞。それを機に胡蝶蘭農場でこれを応用する機会を得て大きなエネルギ―コスト削減実績をあげた。

■その後、地中熱を利用して戸建て住宅、老人ホーム、保育園、病院、大学などの冷暖房や床暖房のシステムを作るなど、実績を積み、サービス内容も年々高度化している。

取材先 アグリクラスター
取材 2017/06/12
掲載先 リーダーシップ2017/08
探訪記 http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki194.html





地中熱を利用したで胡蝶蘭ハウス農園(上)と
人工透析クリニックの空調システム
 
【1311b10】シリコン樹脂で人口乳房をつくる  


■中村ブレイスの創業者、中村俊郎氏は、プラスチック素材の見本市でシリコーン樹脂製の灰皿をみて、これで足底板(インソール)をつくってはどうかと思いついた。靴の中に入れて足のアーチの高さや傾きを調整するもので、それまでの足底板はプラスチックやコルク製だった。シリコーンなら触覚が柔らかで変形しない。

1年間の研究と試行錯誤の末、シリコーン樹脂の独自の成型方法を開発。日米英独仏など9カ国の特許を取得し、シリコーン製足底板の製造販売をはじめた。

■次に、シリコーンで人口乳房を製作した。乳がんの治療で乳房を切除した女性の残った乳房から型を取り、それを左右反転させた形をシリコーンで作って中にスポンジを入れる。当初は淡色のベージュだったが、患者たちが色も形もリアルな乳房の再現を望んでいることがわかり、残った乳房と同じ色になるようにした。

■しかし、シリコーンの上から色を塗れば衣服でこすれてはげ落ちる。そこで、半透明のシリコーンの裏側から筆で着色した。同じ方法で、事故や病気で手指、鼻、耳を失った人のための「スキルナー」も作られるようになった。

取材先 中村ブレイス
取材 2019/04/24
掲載先 リーダーシップ2019/07
探訪記 http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki217.html 

 


シリコーン製足底板(上)と人口乳房
 
【1311b11】クレープ紙の新たな用途を開発する  


■山陽製紙が製造するクレープ紙は、古紙を原料とした再生紙で、セメント袋の綴じ口や電線の包装紙に利用されていたが、セメントが生コン車で運ばれるようになって市場が縮小。クレープ紙の新たな用途開発に迫られた。

■タオルメーカーが南高梅の種を焼いて作った炭の粉末を糸に混入し、その糸で消臭効果のあるタオルを開発したことがヒントとなり、原料の古紙に食品廃棄物をリサイクルした炭を加えることで、消臭効果のあるクレープ紙を開発。靴の消臭材シートなど、ノベルティ商品を企業団体向けに販売を始めた。

■並行して、使用済みのコピー用紙を小ロットで再生する新事業も始めた。事業所から出る使用済みのコピー用紙を回収し、それをリサイクルし、封筒・名刺・便箋・メモ用紙などに加工して送り返すもの。封筒やメモ用紙には「100%再生紙、環境にやさしい無漂白、弊社は不要コピー用紙をリサイクルしています」と小さく印刷し、申込企業の環境への貢献をアピールでき、企業団体の環境意識の高まりとともに注文が増えている。

取材先 山陽製紙

取材 2019/04/09
掲載先 リーダーシップ2019/06
探訪記 http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki216.html 

 


「SUMIDECO」(上)と「PELP!」
 
 【1311b12】現場の問題解決の中から生まれた製品を市販する  


■食品製造装置や一般産業機械の設計製作請負業、スズキ機工が得意先と一緒になって機械を開発する中で、オリジナルの工夫が生まれることがある。その中に一般市場で売り出せば売れるのではないかと思われるものがいくつもあった。

■たとえば…
[パケットリールシステム]各種電気コードをすっきり収納し必要なだけすぐに取り出せる。
[ベルハンマー]金属表面の凹凸に浸透し滑らかにして驚異の潤滑性能を発揮する特殊な潤滑剤。
[ベルシザー]抜群の切れ味でササクレができない鋏。普通の鋏で薄いビニールや紙などを切るとササクレができる。その破片が食品に混入するとクレームの原因になるが、その問題を解決した。
[ベルスマート]ドリルで穴開け加工した時に発生する切り粉が飛散すると後処理が大変だが、切り粉を飛散させず確実に吸い取ることのできるリング形状の掃除機ノズル…など。

■受託製作装置は納入したらそれで終わりだが、これらは、商品の良さをわかって貰えれば、多くの人に繰り返し買ってもらえる。そういうオリジナル商品を次々開発していけば、会社はもう1段高いステージに上がれる…鈴木豊社長はそう考えた。

■東京ビッグサイトの国際展示場に潤滑剤「ベルハンマー」を出展。レバーを引けば回転体にブレーキがかかる極圧性能試験器を製作し、通常の潤滑剤を付けてレバーを引くとかなりの力を加えてようやく回転がとまるが、「ベルハンマー」だと1人がどれほど力を込めても回転を止めることができないことを実証実験したところ、黒山の人だかりができ、それがテレビに取り上げられ、爆発的に売れ、以来今日に至るまで途絶えることのない注文が続いている。

取材先 スズキ機工      
取材 2018/05/23
掲載先 リーダーシップ2018/07
探訪記 http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki205.html

 


ベルハンマー(上)とベルシザー
 
 【1311b13】他社に先んじて開発と商品化をめざす  

■関東大震災で、それまで心血を注いできたジャープペンシル事業を失った早川徳次翁は、1924(大正13)年、大阪の地で再起を期して早川金属工業(後のシャープ)を立ち上げた。

■1年後にラジオ放送が開始されることを知り、アメリカ製鉱石ラジオを入手し、分解し再度組み立てて構造を研究。モールス信号を打電。ダイヤルを回わし、波数を合わせてその音を捉えてラジオの仕組みを研究し、やがて1年で国産鉱石ラジオ第1号を組み立てた。

■翌年、浜松高工(現静岡大学工学部)の高柳健次郎助教授がブラウン管に「イ」の字を映し出すことに成功したことを知ると、浜松高工の卒業生を求人し、笹尾三郎が入社してテレビの研究を開始。終戦後GHQがテレの研究を解禁した2年後の1951(昭和26)年、他社に先駆けて国産テレビを発売した。

■このほか、電子レンジ、電卓など、常に他社に先んじた開発、商品化をめざして「早かった電機」と呼ばれた。ライバルの松下電器がトップを行くメーカーの弱点を修正して安定的な製造販売を目指す「2番手商法」に徹したのと対照的だった。

取材協力:シャープミュージアム

取材:2022/04/27

探訪記:http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki250.html
 




(上から)シャープペンシル、国産第
1号鉱石ラジオ、国産第1号テレビ
 
  【1311b14】清酒を開発する  
 
■鴻池新右衛門は戦国武将、山中鹿助の子だった。戦乱の中で父も大伯父も亡くなって1人になり、商人として生きていくこうと決意。酒の醸造業を始め、それまでの濁り酒を品種改良して透明で透き通った清酒を開発した。

■鴻池家の家伝では、召使の下男が主人から叱られた腹いせに酒樽の中にかまどの灰を投げ入れたところ、白濁した酒が清く澄み渡ったという話が伝えられている。しかし、実際にはそんなに単純な話であったとはとても思えない。透き通った清酒の秘密を誰もが知りたがり、それを煙に巻くために、そんなつくり話が生まれたのかもしれない。

■ともあれ、清酒は甕に詰められ、それを2つずつ馬の背に振り分けて、伊丹から江戸まで運び、徳川氏による町づくりが始まったばかりの 江戸で販売された。その成功が基礎となり、鴻池家はその後、海運業への進出や大名貸しで巨利を得て、やがて全国最大の両替商へと発展を遂げている。

取材先 荒西完治氏
取材 2022/08/03

掲載先 リーダーシップ 2022/09
探訪記 
http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki253.html
 
摂津名所図会・伊丹酒づくり
(市立伊丹ミュージアム蔵)
 
  【1311b15】うまみの素、味の素の発明  


東京帝国大学教授の池田菊苗(1864-1936)は「甘味」「塩味」「酸味」「苦味」の4つに味覚のほかに「うま味」という5つ目の味覚があることを発見した。

青年時代に国費留学生としてドイツに渡って物理化学を学び、そのとき、ドイツ人家庭で、料理に振りかけるとコクが増し、味に深みが出る「マギー・ビュルツェ」という万能調味料があることを知った。

■その記憶が背景となり、帰国後、妻が買ってきた一束のだし昆布から、昆布のうまみを人工的に作り出すことはできないかと考えて、
うまみの抽出実験を繰り返した。

■実験によって、うまみの素がグルタミン酸であることを突き止め、1908(明治41)年、「グルタミン酸塩を主成分とする調味料の製造法」を特許出願。
この特許の共同保有者となって、グルタミン酸塩を主成分とする調味料の工業生産と販売を引き受けたのが2代鈴木三郎助だった。

■2代三郎助は、この調味料を入れた料理の試食会を一流料理店で開催。さらに料理界の権威者にも意見を求めて、この調味料の市場価値を確認。純益金の25%を池田に支払うという条件で、特許権の共同保有者となり、これを「味の素」と名付け、工業生産と国内外への販売の道筋をつけた。

取材先 味の素川崎工場
参考文献 味の素社史(1971)、清水洋美著「はじめて読む科学者の伝記・池田菊苗」(汐文社、2021)ほか

取材 2024/01/27
掲載 リーダーシップ2024/03 
探訪記 http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki262.htm

 
味の素の登録商標(1908)
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