改善の事典 》 第12章 組織 》 M協力者の力を結集する |
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組織‐1214 M協力者の力を借りる | |||||
事業を成功させるには雇用関係にある従業員のほかに、経営者の掲げる目標に賛同し協力してくれる協力者が必要です。ここではそんな事例を集めました。 |
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このページの掲載事例→ | ●121401 異業種からヒントを得る−1 | ||||
●121402 異業種からヒントを得る−2 | |||||
●121403 異質人材との交流でEVを開発する | |||||
●121404 クリエーターたちの力を結集する | |||||
●121405 レンタル設備のオーナーとなってくれる人を募る | |||||
●121406 出所者更生支援事業への協力者を募る | |||||
●121407 断られても懐に飛び込み同業者組合加入を果たす | |||||
●121408 同業他社をフランチャイズに組織する | |||||
●121409 バイク屋の下働きを引き受けて協力店を組織する | |||||
●121410 地域の加工後術を結集して球体選別装置をつくる | |||||
●121411 化学雑巾をフランチャイズ組織で販売する | |||||
●121412 トップが名参謀を持つ | |||||
●121413 人々をもてなし人間関係を広げる | |||||
●121414 先輩実業家たちの力を借りる | |||||
【121401】異業種からヒントを得る-1 | |||||
■患者というお客様の目線で歯科医院の将来方向をみつめ、治療から予防へ方向転換を図り、組織力によってそれを実現。さらには小冊子の発行、イベント開催、サロンの開設などによるイメージ戦略を展開した。 取材先 寄田歯科クリニック |
12歳までの子どもを対象にした虫歯予防教室 「カムカムクラブ」 |
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【121402】異業種からヒントを得る―2 | |||||
■橋本民元専務は、こうした手法のほとんどを異業種交流会から学んだ。ホテル業界の常識の中で考えていたらおそらくは生まれなかっただろうという。 取材先 王宮・道頓堀ホテル |
道頓堀ホテルの従業員提案箱 |
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【121403】異質人材との協力でEVを開発 | |||||
■開発の様子はテレビ局の密着取材によって放映され、EV「Meguru」と小倉さんは一躍脚光を浴び、それを契機に淀川製作所には、新しい装置開発の引き合いが次々と入るようになった。
取材先 淀川製作所 |
EV“Meguru” |
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【121404】クリエーターの力を結集する | |||||
■整腸作用のある竹炭パウダーを売り込みたいとの相談が寄せられたのを機に、黒いもみじ饅頭を作ったら…と閃いてメーカーに提案。その提案が採用され、クリエイターたち得て、デザインやPRを引き受け、黒いもみじ饅頭の開発と販売に成功した。 |
ソアラ交流会(上)と「黒もみじ」 |
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【121405】レンタル設備のオーナーとなってくれる人を募る | |||||
■食品リサイクル法の成立(2000年)によって、食品関連事業者に食品廃棄物の発生抑制、減量化、飼料や肥料へのリサイクルが義務付けられるようになった。 ■このとき、生ゴミ発酵分解装置を開発した「楽しい株式会社」の松尾康志社長は、その装置を1台350万円で販売しようとしたが、買ってくれるところはなかなか現れなかった。 ■そこで、食品廃棄物排出事業者に代わってこの機械のオーナーになってくれる人を探すことにし、出資者には年率4%の配当を支払うという条件でオーナーを探した。 取材先 楽しい株式会社 |
生ゴミ発酵分解装置 |
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【121406】出所者更生支援事業への協力者を募る | |||||
■大企業には、産業廃棄物の10%をヒューマンハーバーに出してもらうように呼び掛けた。「我々の会社に産業廃棄物を出してもらえれば、御社も出所者の更生と再犯防止に貢献できるのです」と訴えた。 ■ヒューマンハーバーが九州大学の提唱するユヌス・ソーシャルビジネスの第1号に認定されたこともあって大手各社から産業廃棄物を出してもらえることになり、2004年に、出所者による産業廃棄物の中間処理事業がスタートした。 |
ヒューマンハーバー「ある蔵」若竹工場 |
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【121407】断られても懐に飛び込み同業者組合加入を果たす | |||||
■しかし、忠兵衛は臆することなく栄九講の宴会に乗り込み「同郷の近江から来た新参者です。どうか皆様の後について商いの道を学ばせていただきたい」と堂々と述べた。 ■その弁舌の巧みさから、忠兵衛は加入を認められ、さらに1年後には栄九講の代表にまで選ばれた。忠兵衛が人々の心をつかむことに。いかに巧みであったかがわかる挿話である。 取材先 伊藤忠兵衛記念館 |
豊郷町・伊藤忠兵衛屋敷(伊藤忠兵衛記念館) |
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【121408】同業他社をフランチャイズに組織する | |||||
■電設工事と水道工事の受託業、島根電工は、バブル崩壊後、大口工事受注が減少したことに対応して、一般企業・一般市民による小口工事に重点を移し、顧客からの信頼を高めるための社員教育にも力を入れた。 ■対応の遅れた同業他社の中には島根電工の経営を学ぼうと同社に見学に訪れる会社が少なくなく、同社がそれら各地の同業他社によってフランチャイズ組織を立ち上げた。 ■全国各地から50社がフランチャイズ組織に参加。島根電工が主催する経営者教育、社員教育に参加するとともに、島根電工の幹部社員がフランチャイジーを1社ずつ担当して、経営コンサルティングに当たっている。 ■フランチャイジーには「住まいのおたすけ隊」のブランドと「サットくん」(部品資材の単価とその取り付け工賃のデータを入力できる端末装置で、これにより顧客訪問時にその場で見積書を発行できる)などのシステムの使用を認めており、これにより島根電工がすすめてきた統一ブランドの全国展開がすすみつつある。 取材先 島根電工 |
島根電工の研修風景 |
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【121409】バイク屋の下働きを引き受けて協力店を組織する | |||||
■自動車のJAF(日本自動車連盟)に当たる組織をバイクでも作ろうと「有限会社ノア」を立上げ、各地のバイク屋を訪ね歩いて、「バイクレスキューの会社を立ち上げました。道路上で事故を起こしたバイクからの連絡をウチで受けますので、その時は助けに行ってあげてくれませんか?」 ■2つ返事で協力してくれるバイク屋は1軒もなかったが、その店の下働きを引き受け、店先を掃除したり、バイクを運んだり、事故を起こしたバイクの引き上げを手伝ったり、車検のために朝早くから並んだり、あるいは、夜にお酒が入って車に乗れない店主に代わって事故現場に駆けつけたり…した。 ■やがて「世話になったな。だったら、キミの会社に登録だけしておくよ」と言って貰えるようになり、こうして、少しずつ協力してもらえるバイク屋を増やし、やがて全国のバイク屋3000店を組織化した。
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バイクレスキュー作業(上)と 困りごとを受け付けるコールセンター |
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【121410】東大阪の技術を結集して球体選別装置をつくる | |||||
取材先 ユタカ |
工場内部とロシアからの見学者 |
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【121411】化学雑巾をフランチャイズ組織で販売する | |||||
■鈴木が後に化学雑巾を開発し(株)ダスキンを創業した時、それまで自身が創業し社長を務めてきた(株)ケントクが米国資本にのっとられ、その販売ルートを利用することができなかった。 ■1970年には(株)ダスキンは同様の方式でミスタードーナツ事業を展開。これらによって同社は日本のフランチャイズ事業の草分けとされている。 取材先 ダスキン |
加盟店のシーダーさんに送られる「喜びのタネまき新聞」 |
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【121412】トップが名参謀を持つ | |||||
■英国マン島のTTレースへの出場を提案したのは藤澤で、社内に派閥をつくらないために「役員の子弟を入社させない」という人事のルールをつくったのも藤澤だった。 ■本田が技術開発に専念でき、本田技研が世界のホンダへと飛躍できたのは、藤澤という名参謀があってこそ…、と言われる。 取材先 本田宗一郎ものづくり伝承館 掲載先 リーダーシップ 2021/09 探訪記 http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki243.html |
本田宗一郎ものづくり伝承館のパネルより |
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【121413】人々をもてなし人間関係を広げる | |||||
■「ソニー」ブランドのアメリカへの浸透を図るために、ソニーの創業経営者の1人、盛田昭夫翁は良子夫人と3人の子供とともにニューヨークに移住した。人々と交流し、知り合った人々をアパートに招き、拙い英語を駆使してもてなした。1年間のニューヨーク滞在中もてなした客人は400人に及んだ。 ■ニューヨークからの帰国後も、昭夫翁は世界中を飛び回って「ソニー」ブランドの浸透を図った。後には自家用ジェット機で世界を飛び回ったといわれる。そして、ニューヨークの時と同様に東京目黒の自宅に人々を招いてもてなした。 ■愛知県常滑市小鈴谷の「盛田昭夫塾」には433回を数えたホームパーティのおもてなしのメニューと、ロリンマゼール、ズビンメーター、ヘルベルトフォンカラヤン、マイケルジャクソンなどとの交友の記録が展示されている。 取材先 盛田昭夫塾(愛知県常滑市小鈴谷字亀井戸7-4) 掲載先 リーダーシップ 2022/10 |
) 盛田昭夫塾に再現された 良子夫人によるおもてなしテーブル |
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【121414】先輩実業家たちの力を借りる | |||||
■浅野総一郎翁(1848〜1930)は、石炭商として工部省セメント製造所に出入りする中で、石炭を燃やした後にできるコークスを石炭と粘土と一緒に焼くとセメントができることを知り、そのことに関心を寄せた渋沢栄一のために、渋沢が経営する東京ガスで発生したコークスを、同じく渋沢の経営する王子製紙で燃料として利用する道筋をつけた。 ■以来、総一郎は渋沢の知遇を得て、東京電燈会社を創業した大倉喜八郎、銀行家の安田善次郎らとも交流するようになり、その交流を背景に、石炭事業を発展させ、工部省セメント製造所の払い下げを受け、東洋汽船を創業。 大倉喜八郎による札幌麦酒の設立に参加し、安田善次郎からは資金援助を得て東京湾埋立事業を成功させた。 参考文献 出町譲著「九転十起」幻冬舎2013 掲載先 リーダーシップ 2024/01 |
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