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ネット版 改善改革探訪記 №253
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清酒を開発した鴻池新右衛門と両替商を引き継いだ鴻池善右衛門ut

 鴻池新右衛門と善右衛門の事績探訪記


伊丹は室町時代中期からの酒造りの町だった。当初の日本酒は白く濁った濁酒(どぶろく)で、これを改良し、澄んだ透明な清酒を開発したのが鴻池新右衛門(1571-1651)である。

新右衛門は幼名を新六といい、父は戦国武将の山中鹿介(しかのすけ)だといわれる。幼くして大叔父の山中信直に預けられ、伊丹の鴻池村で過ごしたが、父も大叔父も戦乱の中で亡くなって1人になり、商人として生きようと決めた。名を鴻池新右衛門と改め、酒造業を始め、「伊丹諸白(もろはく)」と呼ばれる無色透明の清酒を開発。量産化にも成功した。

この酒を樽に詰めて馬で江戸まで運び販売。その後、大坂に店を構え、大坂沿岸部の衢壤(くじょう=九条)島から海上輸送で清酒を江戸に運ぶようになり、さらに酒だけでなく諸大名の物資の輸送も引き受けるようになった。

海上輸送代行業は、領国の産品を蔵屋敷に集め、売りさばこうとしていた諸大名のニーズに合致した。新右衛門はさらに、それらの産品を担保に大名貸しを始め、やがて庶民を相手に両替商を始めた。

新右衛門の大坂の店は8男の善右衛門正成が継ぎ、以来、大坂の店の当主は代々善衛門を名乗り、両替商に専念した。

1705(宝永01)年、東大阪地域でしばしば氾濫した大和川が付け替えられ、川の跡地の湿地帯で干拓工事と新田開発がすすめられた。3代目善右衛門宗利はそれまで蓄えた資金を投入して200ヘクタールに及ぶ鴻池新田を開発。1000人近い農民を入植させ、大地主となった。

大坂最大の両替商として繁栄した鴻池家は、明治に入って第十三国立銀行を設立。この銀行がその後、鴻池銀行、三和銀行、UFJ銀行、現在の三菱UFJ銀行へとつながっている。


●本文 →
kohnoike-shinemon.pdf へのリンク
取材先 伊丹郷土史家・荒西完治氏、鴻池新田会所
●掲載先 → リーダーシップ 2022年9月号
(発行元・日本監督士協会のURL:http://www.kantokushi.or.jp/


摂津名所図会・伊丹酒づくり(市立ミュージアム伊丹蔵)。画像クリックで本文表示


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清酒を開発する→
http://www.souisha.com/jirei13/1311b.html#14

●大名の物資輸送を肩代わりする
http://www.souisha.com/jirei13/1313.html#12

●鴻池新田を開発する
http://www.souisha.com/jirei14/1403c.html#16