改善の事典 》 改善改革探訪記 》 №251 |
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ネット版 改善改革探訪記 №251 |
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「銀行王」と呼ばれた安田財閥の創始者ut |
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安田善次郎翁事績探訪記 | |||
■乾物商としては、お客の気持ちになり、お客が求めるものをよいものから順に渡すよう店員に徹底して評判を高め、両替商としては毎朝大八車に穴に紐を通した一文銭を乗せ、釣銭のために小銭を必要とする湯屋を毎朝回って1両につき10~20文の手数料を稼いだといわれる。 ■やがて江戸幕府の古金銀回収取り扱いの仕事を引き受けて銭両替商の地位を確立。明治以後は、新政府が発行する「太政官札」の価値がどんどん低下していく中、新政府の権威が確立すれば額面通りの価格で交換されるはずと、それを担保に正価を貸し付けて大量の太政官札を集めた。そして、予想通り、新政府が鋳造した新貨と太政官札との等価交換を布告したことで、莫大な利益を得、三井、小野、島田などと並ぶ本両替商となった。 ■その後、第三国立銀行と安田銀行の2つの銀行を運営。生産を行う事業者に資金を融通するのが銀行の役割だと考えていた善次郎は、経営を見通す透徹した目を持ち、釧路の硫黄鉱山の経営にかかわったほか、利根運河会社、日本鉄道会、水戸鉄道などの設立に関わり、同郷の浅野総一郎の東洋汽船、京浜地区の埋立事業にも関わって、明治期の産業振興に大きな役割を果たした。 ■三菱財閥を築いた岩崎弥太郎が高学歴者を積極採用して海運業を中心に工業・商事・金融分野へと多角化したのに対して、善次郎は頭を使って仕事をするのは自分1人で十分と考えていたところがあって、高学歴者の採用にはあまり積極的ではなかった。安田財閥はどこまでも金融・保険・不動産を中心とするグループであり続けたのはこのためと言われる。 ■ただ、善次郎は行員一人ひとりを思いやり、育成しようとする気持ちは強く、月に1~2回は全行員を集めて名士の講話を聴かせた。名士の1人が東大インド哲学科の村上専精(せんしょう)で、善次郎はその縁で東大に講堂の寄付を申し入れ、善次郎の没後、それが実行に移された。これが「東大安田講堂」である。 ●本文 → yasuda-zenjiro.pdf へのリンク ●取材先:安田善次郎翁記念室(富山市宝町) ●掲載先 → リーダーシップ 2022年7月号 |
安田善次郎翁記念室のロビー。 写真クリックで本文表示 |
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「仕事の事典」の関連事例 ●「千両分限者」になろうと江戸に出て両替商をめざす →http://www.souisha.com/jirei14/1401c.html#10 ●安田屋の接客4カ条 →http://www.souisha.com/jirei13/1304b.html#13 ●安田講堂を寄付する→http://www.souisha.com/jirei14/1407c.html#07 |