絵で見る創意くふう事典 》 改善改革探訪記 》 097 | ||
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ネット版 改善改革探訪記 97 | ![]() |
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城郭建築に利用された穴太衆積 | ||
■大津市坂本は坂の町である。比叡山の山裾から湖岸に向かって坂が続いており、建物は敷地の低い側に石積みして平面を作り出し、その上に建てられている。このために石積みの技術が発達した。延暦寺の僧たちは坂本にそれぞれの寺を持っており、それらを里坊(さとぼう)と呼ぶが、里坊のほとんどにこの石積みが使われている。 ■坂本に穴太(あのう)というところがある。そこに住む穴太衆がこの技術に長じていたために、この石積みは「穴太衆積(あのうしゅうづみ)」と呼ばれた。比叡山を焼き打ちした織田信長がこの石垣を崩すことができず、後にその工法を安土城の石垣に利用した。秀吉と家康の時代になって穴太の石工たちは全国の城造りに駆り出されるようになり、「穴太衆」は石工の集団を指す言葉になった。 ■「これが代表的な穴太衆積みです」大津市「もの知りおじさん」の菅井政見さんが指したのは滋賀院門跡の苔むした見事な石積みである。滋賀院門跡は江戸時代、天台座主となった皇族たちの住まいだったところだ。 ■自然のままの石を堅固に積み上げた野面積(のづらづみ)で、割ったり削ったりした加工石を使わない。どの石も横長方向に寝かせて使う。どんな石があるか、時間をかけて見て回り、大きな石から順に配置を考え、頭の中で図面を描いてから積み上げる。だから強固な石垣ができるのだと言う。 |
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滋賀院門跡の穴太衆積 |