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ネット版 改善改革探訪記 78 BACK NEXT
豊川稲荷霊狐塚

愛知県豊川市の豊川稲荷は正式名称を豊川閣妙厳寺という曹洞宗の寺院である。本尊は千手観音菩薩。その千手観音の鎮守として豊川稲荷が祭られているのだが、稲荷の方が圧倒的に多くの信仰を集めている。

境内で最も古い建物である山門は戦国時代の今川義元の寄進。義元のほか信長も秀吉も家康も稲荷に帰依したという。ボランティアガイドのKさんによると、とりわけ大きな影響を与えたのが江戸町奉行の大岡忠相だった。豊川稲荷を深く信仰した忠相は、自宅に屋敷神として豊川稲荷を祭っていた。それが後に豊川稲荷東京赤坂別院として市民に開放されて東京の信者が増え、東京からはるばる豊川まで参拝する人が多くなったという。

稲荷は正式名称を荼枳尼真天(だきにしんてん)という穀物の神で、狐の背に乗り稲を荷っている。ダキーニというインドの女神がもともとの起源で、信仰を怠ると祟りをもたらす祟り神だ。それだけになお一層霊験あらたかと信じられたに違いない。商売繁盛、家内安全、病気平癒など、何千本もの幟に書かれた願い事は、尽きることのない人間の欲の深さを表している。

境内の一番奥の薄暗い森の中に霊狐塚があり、願い事の叶った人たちが奉納した無数の狐の石像がそこにある。赤い涎掛けをつけた狐の姿には、やさしさや愛らしさは微塵もなく、人の心を見透かすような、射るような冷酷さが伝わってくる。そんな風に見えるのは、願いさえかなえば信仰を忘れそうになる身勝手さを恐れる気持ちが人間自身の中にあるからだろうと思った。
霊狐塚