改善の事典  》 第13章 お客様  》 仕事の信頼感を高める
 
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お客様‐1305b 仕事の信頼感を高める BACKNEXT


接客応対には好感度とともに信頼感が重要です。それを高める工夫を集めました。

 このページの掲載事例→                                        ●1305b01 担当者の名前を表示する  
●1305b02 生産者の名前を表示する  
●1305b03 知りませんと言わない  
●1305b04 目線の高さを同じにして患者さんに話しかける  
●1305b05 お客様の都合を優先させる  
●1305b06 足しておまけしてはじめて商売になる
●1305b07 値引きよりアフターサービスを優先させる  
●1305b08 家づくりの過程と価格を見える化する
●1305b09 二日酔いのお客様に胃薬を用意する 
●1305b10 Tシャツに寄せ書きする
●1305b11 宴会場に陰膳を用意する 
●135b312 心からの思いやりでゲストに接する
●1305b13 マニュアルを超えて自分のベストのサービスで
お客様を感動させる
●1305b14 不動産オーナーとの間に信頼関係をつくる
●1305b15 里山を再生させ産廃事業のブランド価値を高める 
●1305b16 マン島TTレースとF1に参戦する  
●1305b17 ソニーブランドを世界に広げる   
 
【1305b01】 担当者の名前を表示する   


@自分の名前が表示されると後々まで責任の持てる仕事をしなければという意識が生まれ、お客様の信頼感も高まる。そこで、バス切符売場の窓口に名札を掲げることにした。


取材先 三重交通
取材 1980
掲載 自己啓発1981/01

 

Aお客様サービスの窓口を明確にするため、各売り場に売り場責任者の名前と写真、一言コメントを貼った。


取材先 寺内
取材 1980
参考文献 寺内「提案へのアプローチ」


B病院の事例。「患者さん」「看護師さん」と立場や役職名呼び合うのでなく、「○○さん」と個人名で呼び合うと、人間対人間の関係が生まれやすくなる。そこで、看護師の自覚と責任感を高め、患者さんから名前を憶えてもらえるよう、看護師は大きな名札を付けることにした。


取材先 日本鋼管福山病院
取材 1999/05/26
掲載 課題達成型QCストーリー展開事例集
 
 
【1305b02】 生産者の名前を表示する   

■減農薬や無農薬など、目に見えない品質がお客様の関心になっている。そこで、指定農園からの野菜に生産者の氏名と写真を表示して高品質を保証し、「朝3時に収穫しました」などと書き添えて新鮮さを強調することにした。




取材先 オリンピック高井戸店
取材 1999
掲載 燃えよリーダー1999/1
 
 
【1305b03】 知りませんと言わない  

装粧品卸売業の事例。商品の素材や特徴、メーカーについて、あるいは自社の仕入れ体制など、お客様から何かを尋ねられたとき「わかりません」「知りません」と答えてしまうと、お客様との関係はそこで切れてしまう。

■たとえ自分で答えられなくても、答えられる担当者に代わって対応してもらったり、あるいは、連絡先を聞いて、後で調べて連絡するなどの方法で、関係をつなぐことが大切だ。

■そこで新入社員やパートまで含めて「知りませんとはいわないキャンペーン」を展開した。

取材先 寺内
取材 1980
掲載 改善提案ハンドブック

 
 
【1305b04】 目線の高さを同じにして患者さんに話しかける  


■病院の事例。腰を掛けている患者さんに立ったまま話しかけると、見下ろすことになり、威圧感を与える。そこで、看護師は自分もしゃがんで目の高さを同じにして話しかけ、患者さんに安心感と親しみを与えることを心がけている。

取材先 日本鋼管福山病院
取材 1999/05/26
掲載 課題達成型QCストーリー展開事例集

 
 
【1305b05】 お客様の都合を優先させる   

磁石販売業は入手ルートが一般にはオープンになっておらず、新規参入が難しい。そのため「売ってやる」という殿様商売がまかり通っていた。二六製作所の八田明彦社長は、そこにお客様1人ひとりを大切にする次のような営業スタイルを作り上げて、業績を伸ばした。

@自分たちの都合よりも、お客様の都合を優先させる。そのため、電話やメールによる顧客からの問い合わせにはすぐに返事する。調べるのに時間がかかる場合は、途中で進捗状況を伝える。

Aお客様から要望された商品がなかったら、可能な限り取り寄せ、次回からそれを品揃えに加える。


B夕方5時までに入った注文は、その日のうちに発送する。当初は翌日発送になること多かったが、受注管理と請求書の作成、梱包作業の合理化をすすめ、まず午後2時までの受注分を当日発送する体制をつくり、次いで、午後5時までに入ってきた注文は、すべて当日発送できるようにした。

C送料と代引手数料は二六製作所が負担する。いちばん安いものでは1個29円というフェライト磁石があるが、その場合でも送料と代引手数料を無料にした。当初は遠隔地については送料を負担してもらっていたが、すべてのお客様を公平に扱っているというイメージを大切にして、そのように改めた。

 
D磁石を発送するとき、プチプチ(気泡緩衝材)にくるみ、セロテープで止める。それを開梱するときテープの端が見つけにくく、剥がすのが大変だった。そこで“THANKYOU”と印刷されたテープを使い、その端を必ず折り返しておくことをルール化した。


取材先 二六製作所
取材 2014/07/15
掲載 リーダーシップ2014/09
探訪記 http://www.souisha.com/tanbouki/
tanbouki160.html 
 
 
【1305b06】 足してオマケしてはじめて商売になる  


■中内功翁(19222005)が大阪千林に主婦の店・ダイエーの1号店を出店し、それまで取り扱ってきた薬のほか、駄菓子を売り始めた時のことである。

■駄菓子200gを計り売りするとき、220230gを計って、そこから減らしていくと、「そんなことをしたらあかん」というお客さんがいた。

180gくらいを入れ、その後足していって、205g位のところで「まけときますわ」と言って渡す。「引いたらあかん。足して、おまけしてはじめて商売になる」と教えてくれたという。

取材先 中内功記念館
取材 2020/08/07
掲載 リーダーシップ2020/10
探訪記 http://www.souisha.com/tanbouki/
tanbouk232

 

主婦の店・ダイエー1号店の模型
 
【1305b07】 値引きよりアフターサービスを優先させる  


松下幸之助翁が五代自転車店で丁稚奉公をしていて、はじめて自分で自転車を売ったときのこと。お客さんから「1割まけてくれるんやったら買うてやる」と言われ、それをOKしてしまったが、主人からものすごく叱責された。

「1割も負けたらその後のサービスができなくなる」と言われ、「そう言わんと負けてあげて」泣いて頼んだが、主人は聞き入れてくれなかった。そのことを知った当のお客は5分引きで買うことを了承し、さらに、幸之助がいる限り、自転車は五代の店から買うと言ってくれた。

この体験を通じて幸之助は、取引の中で相手に誠意を尽くし、熱意をもってあたれば、必ず相手に伝わり、商いがうまくいくことを学んだという。

取材先 松下幸之助歴史館
取材 2020/11/18
掲載 リーダーシップ2021/01
探訪記 
http://www.souisha.com/tanbouki/
tanbouk235

 
【1305b08】 家づくりの過程と価格を見える化する  


■マイホームを建てるとき、ほとんどの人はハウスメーカーや工務店に発注する。ハウスメーカーや工務店は、基礎、大工、屋根、左官、内装、建具、水道、電気などおよそ20業種に及ぶ専門業者に仕事を発注してマイホームを完成させる。ハウスメーカーや工務店からの請求書は専門事業者の費用に施工管理費や営業経費などを乗せした金額になっているが、実際に専門業者に支払われる金額よりもはるかに大きく、多分に不透明なところがある。

■建築設計事務所長の山中省吾さんは、これを「一括発注方式」と呼び、それに対して「分離発注方式」を提唱した。マイホームを建てようとする個人が専門事業者に直接発注するもので、建築設計事業者がそれを仲介するというものである。これにより、発注者と専門事業者の間に直接の人間関係が生まれ、発注者の希望を直接専門事業者に伝えることができ、個々の価格が見えるようになり、そして、価格が大幅に下がるというものである。

■山中さんはこれを「オープンシステム」と呼び、全国の建築設計事務所と連携して、そのシステムの普及啓発を目的とした「オープンネット」を立ち上げている。 

取材先 オープンネット
取材  2010/12/19
掲載  リーダーシップ2011/02
探訪記  
http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki111.html


↑施主の家族も家づくりを手伝う 
 
 【1305b09】 二日酔いのお客様に胃薬を用意する  

ゴルフ場のレストランでの事例。あるお客様が「今日は二日酔い気味だからザルソバでいいよ」と言われた。それを聞いたサービス係はしばらくして「よろしかったら、これをお使いになりませんか?」と胃薬を差し出した。お客様はこの心遣いに大いに喜ばれたという。

この会社ではマニュアル化された機能的サービスだけでなく、その場その場の状況に応じた心遣い(情緒的サービス)を従業員に奨励しており、そのうち標準化が可能なものは、その都度マニュアル(機能的サービス)の中に組み入れている。 

取材先 千葉夷隅ゴルフクラブ
取材 2002/09/22
掲載 燃えよリーダー2002/11

探訪記 
http://www.souisha.com/tanbouki/
tanbouki003.html
 
【1305b10】Tシャツに寄せ書きする  

■東京都内のあるホテルに、ある女学生が受験の下見のために宿泊したときのことだった。

■彼女は友人たちが「がんばってね」と寄せ書きしたTシャツを置き忘れてチェックアウトした。忘れたことに気付いた彼女が問い合わせてきたときには部屋にはもう残っていなかった。「とても大切にしていたのに…」と聞いた支配人は青くなったが、2度と出てこなかった。

■そこで支配人は新たにTシャツを買い求め、従業員全員で「受験、がんばってください」と書いて渡した。彼女は気持ちを取り直し、受験の際に再びこのホテルに泊まって見事合格。「このTシャツのおかげです」と喜んでくれた。

取材先 スーパーホテル
取材  2010/08/30
掲載  リーダーシップ2010/11
探訪記 http://www.souisha.com/tanbouki/
tanbouki104.html

 
 
【1305b11】 宴会場に陰膳を用意する  

■旅館、加賀屋の接客係に接客マニュアルはあるが、みんなそれ以上の心に残るおもてなしをこころがけている。

■年1回の旅行を楽しんでいるあるグループで、次は「観光地を巡って、最後にあの加賀屋に泊まろう」という計画が立てられた。ところが、計画の2か月前に発案者の会長が急逝。メンバーたちは会長の遺影とともに旅行を決行し、旅館に着くと、宴会場の海の見えるテーブルに会長の遺影を置いた。

■それを見つけた接客係はメンバーから事情を聴き、遺影に合掌してから、「少しお待ちください」といって、遺影に陰膳を備えてくれた。メンバーたちは思いがけないサービスに感動し「会長、よかったね」と全員で乾杯したという。


参考文献:細井勝著「加賀屋の流儀」
(PHP研究所、2006
 
【1305b12】 心からの思いやりでゲストに接する  

■東京ディズニーランドでは「すべての仕事はゲストのために」「すべてのゲストはVIP」というディズニーのポリシーが徹底されており、すべての仕事は厳格なマニュアルで規定されている。

■しかし、ゲストにどんな言葉をかけるか、どんな態度で接するかまでは規定していない。ここで働くパート・アルバイトのキャストの多くはディズニーランドの熱烈なファンで、自分自身がゲストとして受けた感動が忘れられず、今度は自分がゲストに夢と感動を与える側に回りたいと思ってキャストになった人たちで、微笑みも心遣いも彼ら自身の思いやりの心からである。

■マニュアルではなくキャストの心からの接客応対だからゲストは感動を感じてしまう。


取材先 オリエンタルランド
取材 2006/05/18
掲載 ポジティブ2006/08
探訪記 
http://www.souisha.com/tanbouki/
tanbouki013.html

 
【1305b13】 マニュアルを超えて自分のベストのサービスでお客様を感動させる  

リッツ・カールトン・ホテルの「クレド」はホテルの使命を「お客様への心のこもったおもてなしと快適さを提供すること」とし、そのために「お客様が言葉にされない願望やニーズも先読みしてお答えする」ことを従業員に求めている。

■サービスの場面ごとに詳細なマニュアルが用意されているが、それらを頭に入れた上で、必ずしもそれにとらわれず自分で状況判断してベストの行動をとることを求めている。マニュアルに基づくサービスはお客様にもその先が読め、お客様を感動させることはない。お客様を感動させるのは、サービス提供者のそれまでの生き方をベースにその時々の状況に応じて一生懸命考えてこれだとひらめいたベストのサービスだけである。

■例えば、講演資料を忘れた大学教授を、ハウスキーパーが大阪から新幹線で追いかけて東京駅で渡したという事例、あるいは、ダイニングルームでみんなが振り返るほど大きな声で泣いていた男の子のために、ウエイターが土産物店から大きなライオンのぬいぐるみを持ってきてプレゼントし、男の子の機嫌を直させたという事例…などがある。

■このために、同ホテルのリクルーティングは知識や技術ではなく、人物本位に行われる。また、すべての従業員に2000ドル(20万円)のエンパワメント(決裁権)があたえられており、新幹線料金やぬいぐるみの代金はそこから支出される。

後発のリッツ・カールトン・ホテルはこうした感動的なサービスによって、数々の先進ホテルをしり目に、数十年の間に30カ国に100店舗を展開。世界を席巻したと言われる。
 

取材先 人とホスピタリティ研究所
取材 2020/07/20
掲載 リーダーシップ2020/09
探訪記 http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouk231

    

ザ・リッツ・カールトンホテル大阪のエントランス(同ホテルHPより)
 
【1305b14】不動産オーナーとの間に信頼関係をつくる  
 
■不動産業物件のオーナーに代わって家賃徴収や施設管理の事業を展開する大和不動産は、不動産オーナーとの信頼関係構築のために次のようなことを行っている。

■次の経営理念を策定し全員で唱和している。
「私たちは常に研鑽し、お客様第一主義に徹したサービスに努め、地域一番店としての気概を持って明るい豊かな都市づくりに貢献します」

■当たり前のことを徹底してやり抜く「経営倫理」の考え方に沿って次のことを実践している。
・毎朝の「活力朝礼」で、背筋を伸ばした姿勢ときびきびした身のこなしで「今日も一日頑張ろう」と誓い合う。
・指をぴんと伸ばし親指を折り、中指の先端をズボンの線に合わせ、きちんと腰を折ってお辞儀する。
・電話応対は業務よりも優先させ、どんなときでも2コール目までにとる。
・「出迎え3歩、見送り7歩」の言葉を守り、お客様が見えなくなるまでお見送りする。
・社会奉仕活動として、毎朝全員で近隣の道路清掃を行うほか、近くの小学校や幼稚園のトイレ清掃をボランティアでひきうける。

■これらにより「あそこの社員は違う。あそこの社員なら安心して大切な財産を任せられる」と思ってもらえるようになることをめざしている。 

取材先 大和不動産
取材  2011/01/13
掲載  リーダーシップ2011/03
探訪記 
http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki112.html 
  



活力朝礼(上)と浦和駅前の清掃奉仕活動(下)   
 
【1305b15】里山を再生させ産廃事業のブランド価値を高める   

■埼玉県のくぬぎの森の石坂産業は、産業廃棄物の焼却炉によるダイオキシン発生の元凶とされ、地元住民から「出ていけ」という反対運動が起った。それまで同社に建築廃材処理を委託していた企業からも、次々取引停止の通告を受けた。

石坂典子社長は、焼却炉を廃止。知識と技術を結集してリサイクル率を業界トップレベルまで高め、さらに、業界ではじめて環境ISO、品質ISO、労働安全衛生MSを同時取得したが、それでも地域住民の反対は止まなかった。

■産廃はみんなが捨てたものである。その処理の行方を知らないまま、人々は反対を唱えている。それなら産廃事業者の側からもっと積極的に発信すべきと、石坂社長は、リサイクル工場の見学路を設置、工場周辺の5Sを徹底、荒れ放題だった周辺のくぬぎの森を整備し、見学に訪れた人たちが散策できる里山を復活させた。

■この活動が、各界から評価され、様々な賞を受賞したことなどがきっかけで、年に何万人もの見学者が訪れるようになり、大手企業も同社に産廃処理を依頼するようになった。

取材先 石坂産業
取材 2020/02/05
掲載先 リーダーシップ2020/04
探訪記 http://www.souisha.com/tanbouki/
tanbouki
226.html

  
くぬぎの森散策路地図   
 
 【1305b16】マン島TTレースとF1に参戦する  

1959年、本田技研は英国マン島で行われる2輪のTT(Tourist Trophy)レースに初挑戦し,2年後の1961年に125cc250cc両クラスで1〜5位を独占する完全優勝を果たした。

同社はその後、4輪車の生産に参入しF1への参戦を宣言。1964年のドイツグランプリでは惨敗したものの、翌1965年、メキシコ・グランプリでは最初からトップを走り、そのままゴールインする完璧な勝利を収めた。

■「自動車をやる以上、一番困難な道を行く。そのためにグランプリレースに出場し、勝っても負けてもその原因を追究してその技術を新車に投入していく」「レースは技術のバランス、進歩を競う戦場です。世界市場に挑戦しようと思ったら『うちの車はいい』と言ったってラチがあかない。レースは技術改善と宣伝の一番手っ取り早い手段なのです」と本田宗一郎翁は語っている。



取材先 本田宗一郎ものづくり伝承館
取材 2021/08/04
掲載先 リーダーシップ 2021/09

参考文献 野中郁次郎著「日本の企業家7・本田宗一郎」(PHP研究所 2017P80
探訪記 
http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki243.html 

 
1967F1-イタリアグランプリで優勝
 
 【1305b17】ソニーブランドを世界に広げる   
 

■東京通信工業(後のソニー)は、創業後しばらくしてテープレコーダーを、次いでトランジスタラジオの開発に成功した。戦後間もないこの時期、日本人にはまだ購買力はなく、それらを売るにはアメリカ市場の開拓が不可欠だった。

■トランジスタラジオを10万台買いたいと言ってきたアメリカの販売代理店は、製品に自社のブランドを付けることを要求した。盛田昭夫翁はこの話を断って、「ソニー」のブランドで販売することを決意。自分たちの手でソニー製品を販売するために、1960年にソニー・アメリカを設立した。

■以来、アメリカを中心に世界中の人々と交流しながら「ソニー」ブランドの浸透を図り、その後、小型テレビやウォークマンなどの新製品が投入されるにつれて、「ソニー」はハイセンスと高い技術への信頼のブランドとして成長した。

参考文献 盛田昭夫著「MADE IN JAPAN(朝日文庫1990)掲載先 リーダーシップ 2022/10
探訪記 http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki254.html

 
ソニーラジオ
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