改善の事典  》 改善改革探訪記  》  №255
 
TOP 編集のねらい 5S 安全 品質 作業 治工具 設備 省力 環境 コスト 事務 IT化 組織 お客様 社会 地域 探訪記 総目次 索引
 
ネット版 改善改革探訪記 №255
BACK  

日本ではじめてウイスキーをつくったサントリーの創業者ut

 鳥井信治郎翁事績探訪記


鳥井信治郎翁は13歳で奉公に出て20歳で独立。「鳥井商店」を開業した。当初、葡萄酒を輸入販売したが、本場の葡萄酒はあまり売れず、そこで日本人の嗜好に合わせて甘みを加えた「赤玉ポートワイン」を開発した。

広告宣伝にも力を入れ、赤玉宣伝劇団を編成して各地で公演。劇団のプリマドンナをモデルに、肩と胸元をはだけた女性が「赤玉」を持つポスターが「赤玉」の名前と商品力を全国津々浦々に浸透させた。

「赤玉」は大正時代の終わりに国内トップシェアを獲得。「スモカ歯磨き」「オラガビール」など周辺商品群も充実していたとき、信治郎はウイスキーづくりを目指すと宣言した。

ウイスキーは水と大麦を原料に、それらを仕込み、発酵させ、蒸留し、そして何年も熟成した原酒をブレンドして作る。そのための設備には莫大な資金が必要だが、製品化には何年もの年月がかかる。赤玉で築いた財産をそれに賭けるのは無謀すぎると社員も株主も反対した。しかし、信治郎は「自分の仕事が大きくなるか小さいままで終わるのか、やってみんことにはわかりまへんやろ」と言って、1923年、山崎でウイスキー工場建設に着手した。

工場建設から6年後にようやく完成した最初のウイスキー「白札」はあまり売れず、「スモカ歯磨き」と「オラガビール」の事業を手放さざるを得なかった。工場建設から14年後の1937年に発売された「角瓶」でようやく市場評価されるようになった。1940年に開発された「オールド」は戦時中で発売が許されず、10年後の1950年に発売。同社の売上の半分を稼ぎ出し、高度成長期を代表するウイスキーとなった。


●本文 →
torii-shinjirou.pdf へのリンク
●取材先:サントリー・山崎蒸溜所ウイスキー記念館
●掲載先 → リーダーシップ 2022年12月号
(発行元・日本監督士協会のURL:http://www.kantokushi.or.jp/



山崎蒸溜所ウイスキー記念館の赤玉ポートワインポスター。画像クリックで本文表示


「仕事の事典」の関連事例

赤玉の名前を全国に広める→
http://www.souisha.com/jirei13/1303b.html#15

●ウイスキーづくりにすべてを賭ける→
http://www.souisha.com/jirei14/1401c.html#12

●お礼の言葉を確認すれば善行とはいえない→
http://www.souisha.com/jirei14/1405.html#11