仕事の事典 》 改善改革探訪記 》 №242 |
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ネット版 改善改革探訪記 №242 |
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地下浪人から身を起こし海運業界に君臨した三菱グループの創始者ut |
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岩崎弥太郎生家探訪記 | |||
■幼い頃から、歴史、易学、儒学などを学んだ。19歳で江戸に上り、安積艮斎の下で学んでいたとき、父が酒席での口論の末、袋叩きに遭い半死半生の状態にあると聞いて、土佐に帰国した。奉行所に訴え出たが、取り合ってもらえず、そのことを批判したために彼自身が獄に繋がれ、その後、高知郊外に流されて、そこで吉田東洋の門下となり、後藤象二郎らの知遇を得た。 ■吉田東洋は弥太郎を高く評価し、彼自身が後に藩政に復帰した時、弥太郎を召し抱え、長崎に派遣。土佐の産物を外国へ輸出するための市場調査を命じた。このとき、弥太郎は公金を使い込んで罷免されたが、数年後、後藤象二郎が藩政の実験を握ると再び召し出され、藩の長崎出張所「土佐商会」の立て直しを命じられた。 ■「土佐商会」は、坂本龍馬が興した「亀山社中」から「海援隊」と名前を変えた貿易と海運の会社を引き受けた。「海援隊」は明治維新後解散。その後改めて「九十九商会」という会社を立ち上げ、廃藩置県で土佐藩が消滅すると、この会社は「三川商会」「三菱商会」と名前を変え、やがて弥太郎が経営を引き受けることになった。 ■「三菱」は外国や国内の海運会社との顧客争奪競争を制し、台湾征討や西南戦争での政府の輸送を一手に引き受け、その結果、日本の汽船の大半が三菱の所有となった。弥太郎はさらに高島炭鉱、長崎製鉄所なども引き受けて後の三菱グループの基礎を築いた。 ●本文 → iwasaki-yataro.pdf ●掲載先 → リーダーシップ 2021年8月号 |
生家前の岩崎弥太郎銅像。写真クリックで本文表示。 |
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「仕事の事典」の関連事例 ●経営者の仕事は専門家たちに気持ちよく働いてもらうことである →http://www.souisha.com/jirei12/1213a.html#10 ●「おかめ」の面を掲げて頭を下げさせる →http://www.souisha.com/jirei13/1304b.html#01 |
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