絵で見る創意くふう事典  》 第9章 コストダウン  》 G人件費を削減する
 
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 コストダウン‐0905 D人件費を削減する  BACK NEXT
このページの掲載事例→                ●090501 駐車の向きを変えて人手を省く   
 ●090502 検査と積み込みの要員を省く
 ●090503 水泳指導員の勤務時間を変える
 ●090504 電話応対と来客応対を1人でする
 ●090505 主婦を在宅で勤務させる
 ●090506 年功賃金を成果主義賃金に替える
 ●090507 正社員を非正社員に置き換える
 ●090508 周辺業務をアウトソーシングする
 ●090509 コストミニマムで快適な安眠を提供する
 ●090510 プレス加工工場を中国に移転する
 
【090501】駐車の向きを変えて人手を省く  
[改善前]
矢印の向きに駐車することになっていた。b車をバックで入れるために係員が笛を吹いて停止線を知らせなければならなかった。

  [改善後]
駐車の向きを矢印のように変えた。c車が駐車しているとき、d車はバックで出るが、バックで入るときのような追突の危険はなく、係員が不要になった。 
     
 
【090502】検査と積み込みの要員を省く  
[改善前]
bPコンベアは2人、bQコンベアは1人、計3人で製品検査とコンテナ台車への積み込みをしていた。
  [改善後]
コンベアとコンベア台車の配置を変えて、2本のコンベアの前を自由に行き来できるようにした。bPとbQのコンベア担当者が互いに補完し合えるようになり、2人で作業ができるようになった。
     
 
 【090503】水泳指導員の勤務時間を変える  
 [改善前]
スポーツセンターの勤務は2直だったが、水泳教室の時間帯が変わるために1直に戻すと水泳指導員は17時以降残業になってしまう。

[改善後]
水泳指導員のみ勤務時間を9:30〜18:30に変更した。
   
 
 
【090504】電話応対と来客応対を1人でする  
[改善前]
子供発達センターの受付カウンターでは2人の保健婦が受付に座り、1人が電話での相談に応じ、もう1人が訪問者の意訪問者の応対をしていたが、時間によっては待ち時間が発生していた。

[改善後]
電話応対と訪問者の応対を1人ですることにし、電話応対中に訪問客があった時には呼び鈴で事務所に知らせ、応援を求めることにした。
 
【090505】主婦を在宅で勤務させる  
[改善前]
100年ほど前から始まった「職住分離」によって人々は郊外と都心の間を莫大なエネルギーを使って通勤してきた。しかし、通信技術の発達で、「在宅勤務」という働き方が可能になった。

  [改善後]
あるソフト開発会社は、情報処理技術を持つ主婦層に在宅でソフト開発の仕事を請け負わせている。会社に出向くのは新しい仕事を受ける時の打ち合わせの時だけ。必要な連絡は電話、Eメール、FAX、郵便で行う。主婦の側からは家事、育児と仕事の両立が可能になり、会社側にとっては高い技術を持った人材を、請負契約で比較的低コストで利用できる。

     
 
【090506】年功賃金を成果主義賃金に替える  
■従来の日本の賃金制度は勤続年数とともに賃金額が上昇する年功賃金が主流だった。これは勤続が増えるとともに職務遂行能力が向上するということを前提としていたが、実際には、結婚、子どもの誕生、子どもの成長による教育費の増加…という生活サイクルに対応しており、企業規模拡大とともに賃金の低い大勢の若年社員が入社することでバランスを保っていた。
■低成長期に入って規模の拡大が見込めなくなり、さらに技術革新によって勤続と職務遂行能力が比例しなくなったこともあって、年功賃金は維持が困難になっていた。このことを背景にバブル崩壊後、年功賃金を成果主義が切り替える企業があいついだ。成果を上げた者に多く報いることで、生産性向上を促すとともに、成果を上げられなかった者の賃金上昇を抑制して人件費コスト削減を狙うものだった。
■しかし、実際には成果主義賃金はいくつかの問題を生んだ。ひとつは同じ社員の中で大きな賃金格差を生み、それが組織内の融和的風土やチームワークを阻害したこと。もうひとつは多くの職種で成果を客観的に把握する尺度がなく、評価者の恣意的な判断が人事制度と組織への不信を生んだことである。

 
 
 【090507】正社員を非正社員に置き替える  
日本の労働法は労働者の整理解雇を厳しく制限しているが、数カ月から1年の期間を定めて雇用される有期労働者は期間満了とともに雇用契約を終了できる。このため、バブル崩壊後の企業は、正社員の採用をコア業務に限定し、それ以外の業務は標準化、マニュアル化を推し進めて、非正社員化を図り、景気変動に対応する調整弁としてきている。
■非正社員化は企業にとって、社会保険料、賞与、退職金が不要で、人権費コストを抑えることができるが、その一方で、忠誠心・責任感が期待できず、個人の中に知識・経験が蓄積されていかない。そのことが貧困の拡大、若者のキャリア形成ができないことによる将来への希望の喪失…など深刻な問題を生んでいる。
   
 
【090508】周辺業務をアウトソーシングする  
清掃、給食、物流、印刷、広告宣伝などの業務は、専門業者にアウトソーシングするのが一般的である。専門業者は多数の会社から業務を請け負うことでスケールメリットを生かし、専門性を高めて高品質、低コストを実現している。近年ではアウトソーシングの範囲は採用、社員教育、人事、労務、経理、あるいは研究開発、製造、販売などあらゆる領域に及んでおり、それらを活用し、経営資源を自社の最も得意な分野に集中することでコストダウンと競争力強化を図ろうとする傾向が進んでいる。
■金型部品、FA用部品、切削工具などを企画販売するある専門商社では、営業マンを置かず、顧客はカタログを見てインターネットかFAXで注文する。製造はすべて協力工場に外注。受注から発送までの情報システムも経理業務も物流も外注。受注業務も派遣スタッフが行ない、社員は企画立案と市場開発業務に専念している。これを可能にしているのはオープンポリシーと標準化だといわれる。10万点を超える取扱商品の価格と納期をカタログにオープンにしており、これを厳格に守ることで信用を築き、例外処理をなくして仕事を単純化、標準化しており、それによってアウトソーシングが可能になる。

   
 
【090509】コストミニマムで快適な安眠を提供する  


■ホテルには3つの感動が必要であるとスーパーホテルの山本梁介会長はいう。1つはエントランスからフロントまで徹底的に豪華にしつらえてお客様に感動を与えること。2つ目は懇切丁寧な従業員サービスでお客様を感動させること、3つ目は感動的においしい食事を提供すること。帝国ホオテルやリッツカールトンは、この3つを極限に近いところまで充実させている。

■しかし、ホテル業界に参入したばかりのスーパーホテルが、この分野でいくら頑張ってみても帝国ホオテルやリッツカールトンに勝てるはずがない。そこでコストミニマムで快適な安眠を提供することを目指した。

■スーパーホテルのシングルルームは間口2.75m、奥行き4.45mの黄金比である。その中にベッドと風呂とトイレが収まっている。決して広いとは言えないが、人が最も安定感を覚える縦横比であり、ゆったり体を伸ばせるスペースを確保しつつ、コストミニマムを追求している。

ITの活用によってフロント業務を大幅に軽減した。フロントにチェックイン機が置かれている。この機械にお金を入れると領収書と同時に部屋番号と暗証番号が出てくる。お客様はそこに示された部屋に行って暗証番号を打ち込むと部屋のロックが解除される。これによりキーを無くした。部屋から電話を取り払い、テレフォンカードで各フロアの公衆電話を利用して貰うようにし、飲み物もすべて自販機で購入して貰うようにした。これによりフロントはお金を扱うことがなくなり、1店舗当たりの人数は支配人と副支配人の2人だけで済むようになった。

■ホテルではじめて全室セパレート方式のエアコンを採用した。季節の変わり目には冷房を求める人もいれば暖房を求める人もいるが、それに対応するにはセパレート方式しかない。しかも集中方式のエアコンは、部屋で使っていない時も室外機が回っているから、ランニングコストはセパレート方式の方が格段に安くなる。

■これらによって、朝食付きで1泊4980円という驚きの低下価格を実現している。 

取材先 スーパーホテル
取材  2010/08/30
掲載  リーダーシップ2010/11
本文 superhotel.pdf へのリンク

 
チェックイン機と客室ドア
 
【090510】プレス加工工場を中国に移転する   


■岐阜精器工業は高精度プレス加工を金型製作からプレス加工、仕上げまで一貫して引き受けている会社である。1970年代から岐阜で操業してきたが、90年代に入ってグローバル化と円高で国内需要が低迷。人件費の割高感が高まり、得意先の多くが安価な労働力を求めて、中国に組立工場を移転させたことに押されるようにして、岐阜工場を閉鎖し、中国に新工場を建設した。

■最初に雇入れた5人の中国人は、技術も経験もなかったが、技術習得の意欲は旺盛で、日本人スタッフは彼らにつきっきりで、片言の中国語で、挨拶、簡単な日本語、5Sなどを教え、彼らは少しずつそれを覚え、やがて、彼らがリーダーとなって、その後に雇い入れた中国人たちに同じことを教えるようになった。

■成長目覚ましい中国で、新しい課題が次々に突き付けられ、日本人と中国人は一緒になってそれに挑戦してきた。当初1ケタだった得意先企業は、10年を経て20社を越え、同社の技術力は岐阜の山中でものづくりしていた当時の比ではないという。 

取材先 岐阜精器工業
取材  2011/07/12
掲載  リーダーシップ2011/09
本文  
gifuseiki.pdf へのリンク 
 
↑1970年代の岐阜工場(左)と現在の中国工場(右)
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