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i解説 何に向かって創意くふうするか   …
                    このページの掲載項目 「創意くふう」とは何か
動物も創意くふうする
人間の誕生と技術の発展
4.資本主義の出現
5.自由主義、社会主義、修正資本主義
6.社会主義の崩壊と新自由主義
7.何に向かって創意くふうするか
 
「創意くふう」とは何か

197080年代、多くの生産現場で「創意くふう提案活動」が行われていました。「ここをこう変えたら仕事がもっとやりやすくなる」という提案を上司に提出し、「よし、それでやってみろ」とOKが出れば、自分で「改善」し、あるいは、職場のQCサークル活動として仲間とともに改善を実施しました。ときどきは、社内外の専門家の力を借りたり、あるいは予算を投入して新しい設備を入れるなど、組織的な「改革」として実施されることもありました。当時はそのようにして「安正早楽」すなわち「もっと安く、もっと安全に、もっと正確に、もっと早く、もっと楽に」を追求し、企業競争力を高め、もっと豊かになろうとしていました。 

しかし、1990年代に入って、私たちを取り巻く世界は大きく変化しました。グローバル化と情報化が進み、新興国の技術力、工業力が大幅に向上して、多くの企業がより安い労働力を求めて海外に工場を移転させたからです。国内はリストラが進み、日本的雇用が崩壊し、非正社員化が進みました。安定雇用の下で賃金が毎年上がることを前提とした人々の暮らしが崩れ、夫が働いて妻が家庭を守るという家族の形が維持できなくなりました。にもかかわらず、性別役割意識の切り換えがなかなか進まないことこともあって、女性が働く環境の整備が進みません。そのために晩婚化、非婚化、少子化が進み、生産年齢人口が減少し、高齢者割合が増加し、現役世代の負担が増し…、その結果、格差と貧困が進んで、人々は未来に夢を描きにくくなりました。目の前の「安正早楽」を追求するだけで豊かになれた時代は、遠い過去のものになりました。 

かつては働けばみんなある程度豊かになれたのに、今は一部の人しか豊かさを手に入れられず、働いても働いても、豊かになれない人がたくさんいます。このことをどう考えたらいいのでしょうか。私たちは何に向って「創意くふう」すべきなのでしょうか。それをさぐるために、今の世の中が、一体どんなふうに成り立っているのか、最初からきちんと考えてみようと思いました。 

1人が直接見聞きする世界は、針の孔から見るように小さい範囲のものです。その一方で、世の中にはいろんな人がいて、それぞれが見聞きした膨大な量の情報を毎日発信しています。私たちは、その中で、自分の心に残ったものをつなぎ合わせ、世の中とはこんなものというイメージを作り上げて、その中で生きています。以下はたまたま編者が触れた情報の断片をつなぎ合わせた人間社会への理解です。理解不足や勝手な思い込みを含んでいるかも知れませんが、それらは折に触れて修正していくことにして、ともかく一旦整理してみないと先に進めないような気がしたのです。

 
2.動物も創意くふうする  

以下はテレビの話です。リスのために障害物がいっぱいのコースを作り、その向こうの餌台にナッツを置いて、リスがそれにたどりつけるかどうかを調べる実験をテレビで見たことがあります。実験台のリスは障害物を飛び越えたり、綱渡りしたり、滑車に吊るされたゴンドラに乗ってロープを滑り降りたり、素晴らしい運動能力を見せながら餌台に近付きました。餌台までもう少しのところまできたときでした。それを見ていた2匹目のリスが、スタート台からスルスルと下に降り、そのまま地面を走って餌台の支柱を登り、ナッツを先取りしてしまったのです。実験者もテレビを見ていた私たちもハッとする予想外の結末でした。

私たちは欲しいものを手に入れるために、最も近道で最も確実な方法は何かを考えて創意くふうします。私たちは、普段、ものを考えているのは自分たち人間だけだと思ってしまっていますが、これを見ると、動物たちもちゃんと創意くふうしていることがわかります。

考えてみると当たり前のことです。いくつかの選択肢のうちどれを選べば自分に有利になるかを見極める力を持っているからこそ、私たちは環境に適応することができる。脳細胞を働かせて、原因と結果の関係を見定め、結果を予想して創意くふうするのか、あるいは遺伝子に組み込まれた未知の能力によって自分にとっての有利・不利を見極めているのかわからないけれど、とにかく、植物が光を求めて枝葉を伸ばし、水を求めて根を張るのと同じように、動物も人間も、自分にとって必要なもの、望ましい結果を求めて創意くふうするのです。創意くふうとは、生きるものが生き続けるために、進むべき方向を探る働きにほかなりません。

創意くふうをみんなで共有して協力し合えば、より大きな成果を得ることができます。これもテレビでよく見るのですが、ライオンやハイエナは獲物を獲るとき、仲間同士で役割分担します。1頭が獲物を待ち伏せし、他の数頭が獲物をそこに追い込むのです。「自分がここで待ち伏せする。お前たちは向こうから獲物を追ってくれ」。そんな風に言葉で伝えた様子はないのですが、1頭の中でひらめいたくふうを、以心伝心のコミュニケーションによって共有し、お互いが役割を了解し、みんなでひとつの仕事を成し遂げます。ある種の動物たちは、そのようにして、くふうを共有し、役割分担し、協力し合うことで、欲しいものを手に入れている。そう見ていくと、そうした創意くふうと仲間との協力関係をこの上なく発達させ、その上に築かれているのが、私たち人間の社会なのだと改めて気づかされます。

 
3.人間の誕生と技術の発展

アフリカの森林で樹上生活を送っていた私たちの祖先は、あるとき草原に降り立ち、直立二足歩行を始めました。直立二足歩行によって手が自由になり、道具を使えるようになり、大きくて重い脳を支えられるようになって、目的と手段、原因と結果の因果関係を、リスやライオンよりももっと広く、奥深くとらえることができるようになりました。加えて、より多くの仲間と協力することで、手段の幅がひろがりました。道具を使うことで、役割分担が進み、それがより正確なコミュニケーションの必要を生み、言葉が生まれたのだろうと思われます。

森を出た人間の祖先は、何百万年も続いた狩猟採集生活の果てに、農耕定住生活にたどりつきました。定住生活は協力関係の規模を大きく広げました。多人数の協力体制を維持向上させるには、集団が進むべき方向を決定するリーダーが必要でした。武力と知力に優れた者がリーダーとなり、人々の農耕活動を災害や外敵から守る代わりに人々から税を徴収しました。

リーダー、すなわち王様に守られながら、人々は多くの創意くふうを農業に注ぎ込みました。農業技術が発達し、1人の労働力で何人分もの収穫を生み出せるようになり、自分自身は農業をしなくても税金で暮らせる人たちが出現して、その人たちが農業以外の技術・文化の領域を広げ、文字を生み出しました。文字の発明で、情報・経験・知識・技術は蓄積し交換できるようになり、技術と文化の発達に加速度がつきました。

狩猟生活をしていた頃の人間は、数人から十数人で行動していたはずです。基本的にはライオンやハイエナの暮らしと大きな違いはなかったでしょう。しかし、ひとつのところに定住して農業を始めたときから、協力関係の規模が大きく広がりました。何十人、何百人の共同体のうち、力のあるものが他の共同体を征服支配し、大規模化しました。それとともに農作業から離れ、税金でくらしながら新しい技術の開発や芸術作品の創作に打ち込む人たちの層が格段に広がって、文化、文明が発達しました。

人間同士の大規模な協力関係を最初に築き、技術と芸術を、文化・文明と呼ばれる域にまで発展させたのは、中国、インド、イスラム圏などのアジア地域です。そこでは、1人の王様の下にたくさんの国々が従っていました。そんな形で、互いに協力関係にあった人間の数は何百万人とも何千万人ともいわれます。人間の歴史の前半部分では、アジアはヨーロッパよりも先進地域でした。ヨーロッパは豊かなアジアともっと交易したかったのですが、西アジアの広大な地域を支配していたイスラム世界が、ヨーロッパがインドや中国など東アジアと自由に接触することを阻んでいました。

アジアとヨーロッパの立場を逆転させたのは航海術の発達です。船乗りたちは大海原に乗り出し、地球を西回りしてアジアをめざしアメリカ大陸を発見しました。それまで無限に広がっていると信じられて世界が球形をしていて、その大きさが有限であることが、人間の前に初めて明らかになりました。神が世界を支配しているという世界観が次第に力を失い、人間こそが主人公だとする世界観が広がりました。

ヨーロッパは未開のアメリカやアフリカから豊富な資源を手に入れ、一躍ゆたかになり、技術と文化を飛躍的に発展させて、産業革命と市民革命を引き起こしました。

 
4.資本主義の出現  

船を建造し、水夫を雇い入れ、大海に乗り出して、世界を股にかけた商いを展開したのは、それまでの支配者としての王様ではなく、商人でした。商人は王侯貴族など富裕層から出資を募り、世界の海を自由に行き来して商いを行ない、出資者に利益を配分しました。こうして株式会社を中心とする資本主義が始まりました。人間と人間を結びつけていたのは、それまでは武力による支配でしたが、お金による支配がそれにとって代わりました。

お金を持った富裕層たちは、新たな利益をもたらしてくれる新しい企てを探し求めるようになり、それに応えて、新しい冒険者、新しい起業家が次々と登場しました。お金を稼ぐためだったら、彼らは何でもやりました。そんな彼らにとって、言葉も生活風習も違う未開地の異民族は自分たちと同じ人間とは見えていなかったようです。

たとえば、ヨーロッパ人たちは現在の中国、日本、タイ、サウジアラビア、イラン…など一部の国を除く世界中のほとんどの地域を植民地化しました。軍事力を背景に植民地から資源を収奪し、先住民の平和な自給自足経済を破壊しました。アフリカの黒人は捕らえられ未開のアメリカを開拓する奴隷として売買されました。中国では、清からのお茶、絹、陶磁器などの輸入代金の決済のために、アヘンを売りつけ、そのことを巡ってアヘン戦争を引き起こし、この大国を滅亡に導きました。ヨーロッパによる植民地の争奪は20世紀まで続きました。その度に地図の上に境界線が引き直され、それによって、民族が分断され、あるいは同じ地域に異なる民族が共存することによる対立抗争を招きました。それが今日に続く地域紛争やテロの遠因となっています。

 
5.自由主義、社会主義、修正資本主義  

資本主義の主役は商人と職人集団を束ねる加工事業者です。彼らが大きな富を得て、それまでの特権階級だった王侯貴族に匹敵する力を持つようになったとき、彼らは「自由と法の下の平等」を唱えて市民革命を起こし、王侯貴族の特権を制限して、議会制民主主義を始めました。

当時、農業の生産性はさらに向上し、より少ない人数で農業生産ができるようになっていました。いちはやく生産性向上に成功した富農たちは、それに遅れた農民にお金を貸し、それを返済できなかった農民から土地を奪いました。土地を失った農民は小作人化し、やがて農村から締め出され、身ひとつで都会に集まってきました。商工事業者は彼らを雇い入れ、石炭を採掘させ、エネルギーとして利用することで、産業革命を起こしたのです。

産業革命は生産力を飛躍的に高め、さらに巨大な富を生みました。しかし、その恩恵に浴したのは商工事業者と彼らに出資した資本家で、彼らの手足となって働いた労働者が、その恩恵に浴することはありませんでした。資本家は労働者に支払う賃金を低く抑えることで、自分の利益を大きくしたいと考えるし、労働能力以外に何の資産も持たない労働者は、失業すれば生活が成り立たないから、低賃金にも甘んじたのです。マルクスとエンゲルスはこのことを資本家が労働者を搾取していると指摘し、労働者に団結して資本家に立ち向かうよう呼びかけました。それに触発された労働者が団結し、資本家から財産を奪い、社会主義革命を達成して、やがてソ連を中心に世界の半分の地域に社会主義国家が誕生しました。

資本主義(自由主義)陣営にとどまった国々は自国に社会主義革命が及ぶことを恐れ、当初は社会主義者を弾圧しましたが、やがてその考え方の一部を取り入れ、資本主義の修正を図りました。労働者が団結し、資本家と団体交渉して労働条件を引き上げることを権利として認めたのです。さらに、失業保険制度、健康保険制度、年金制度などの社会保障制度を整え、働く能力を失っても最低限度の生活ができるよう、社会福祉を充実させました。それまでの国家は、国民から税金を徴収し、軍事力や警察力によって国民の財産を守るという役割を担っていましたが、このときから国民から徴収した税金を再配分することで、国民全体が潤うような政策がとられるようになりました。

 
6.社会主義の崩壊と新自由主義  

社会主義国家では、すべての財産を国が管理し、国が生産を計画し、国民を動員して生産し、成果を平等に配分するというのが建前です。しかし、労働能力は1人ひとりみんな同じではありません。にもかかわらず平等に配分されることに、能力の高い人ほど不満を感じます。さらに実際にはすべての国民に平等に配分され、平等な機会が与えられていたわけではありませんでした。計画策定の権限を持った役人たちは自分たちに都合のよい計画を立て、自分たちに手厚く配分しました。その結果、人々の不満は大きくなり、十分に働く意欲を引き出すことができず、やがて、社会保障の進んだ資本主義諸国の方がはるかに繁栄し、はるかに豊かな生活をしていることがテレビの映像を通して伝わると、多くの社会主義国家の民衆は社会主義の停止と資本主義への転換の道を選択しました。

修正資本主議の下では、高額所得者ほど高い税金を負担し、それが再配分されました。さらに公共サービスは低料金でみんなに利用させるために民間事業者の自由な参入を制限したり、地域の中小事業者を保護するために大資本の参入を制限するなどの様々な規制を設けていました。しかし、社会主義が力を失い始めた1970年ころから、減税と規制撤廃を求める新自由主義が次第に大きくなってきました。社会福祉のための大きな政府は非効率だ。自由な競争に委ねることで経済が発展し、それによって生み出される富は全国民を潤し社会全体を豊かにする。国民は社会保障に依存するのではなく、それぞれの自己責任で生きていくべきだというのがその主張でした。

この主張に沿って、多くの国が様々な規制を撤廃し、消費税を導入して高額所得者ほど負担割合がくなる所得税のウエイトを小さくしました。日本では国鉄や郵政など、様々な公共事業が民営化され、大規模小売店の出店規制が撤廃されました。大資本は人・物・金・情報をあつめて競争を有利にすすめ、中小事業者は大資本の傘下に組み込まれ、市場の寡占化が進みました。同じことが世界中で起こり、情報化がそれを加速しました。世界中の出来事がリアルタイムで把握できるようになり、世界中の最も有利な地域に人・物・金・情報を瞬時に集中させることが可能になったからです。1990年代、日本の工場が一斉に海外に移転したのは、そうした流れの中で起きたことでした。

いま世界の富豪62人が所有する資産は、35億人の貧困層が所有する資産に匹敵すると言われます。経済が発展すればその果実が全ての人々を潤すという当初の目論みは、その通りにはならなかったのです。世界中の富が一握りの富裕層に集中し、これまでの人間の歴史になかったほど格差と貧困が進みました。極度の格差と貧困は絶望を生み、絶望は力によって現状を変えようとするテロリズムを生みます。さらにそれを力で抑え込もうとすることは、終わりのない地域紛争、大量難民、報復の連鎖を生んでいきます。

 
7.何に向かって創意くふうするか

197080年代のこの国は、いまの中国がそうであるように「世界の工場」でした。自動車、家電、精密機械、産業機械、鉄鋼…この国で作られた製品の多くは、他国の追随を許さない優れた品質を持ち、十分な価格競争力を持っていました。ほとんどの人は「安正早楽」を追求し、自分たちの製品を間違いなく効率よく作り続け、世界中に送り出せばよかった。しかし、グローバル化と情報化が技術の移転を招き、それとともに多くの仕事がより賃金の安い新興国に移っていきました。世界中がこの国に求めていたニーズが消失し、我々は新しいニーズを見つけなければならなくなりました。

一部の人たちは、新興国に渡って工場を建設し、現地の人々を雇い入れ、その人たちにものづくりを教える仕事に携わりました。国内にとどまった人たちは、新興国の技術力では及ばない自動車、家電、精密機械等々の高付加価値化、あるいはこれまでになかった新素材、新製品、新規事業の開発をめざしています。この国の魅力をアピールすることで、多くの外国人観光客に来てもらい、その外国人たちをもてなす事業に精を出す人たちもいます。あるいは、グローバルな事業展開で資産を増やした人たちに買ってもらえる高額の製品・サービスの開発に力を注ぐ人もいます。

しかし、それらの事業が人々を十分に潤す前に、少子高齢化が進み、人口が減少し、市場は縮小し、経済は停滞を続けています。ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた時代をなかなか取り戻せないことに苛立った人々の中には、追いつき追い越していった国々への怨嗟から、内向きで、排他的で、不寛容な空気がひろがっています。

19701980年代は、地球の有限性をさほど気にかけることのなかった最後の自由な時代だったともいえます。今では、地球が人間の自由奔放な経済活動を受け入れられるほど大きくないことが、誰の目にもはっきりしてきました。物をつくればゴミがあふれ、CO2が増え、異常気象が猛威をふるい、快適に住める空間は狭まっていきます。CO2を出さない夢のエネルギーとされた原子力は一歩間違えば人々の生活を危機に陥れる危険な存在であることも、あきらかになりました。そして、核保有国の指導者がほんの少し判断を誤れば…、現代社会は、選択を誤ればこれまでの人間が積み上げたすべてを失うかもしれないぎりぎりのところに立っています。

「創意くふう」とは自分にとって有利な道を探って色々と考えを巡らせることです。そしてそれは、人間だけでなく、動物もやっていることでした。人間と動物の一番の違いは、有利不利を判断するとき考慮する時間の幅の違いです。有利不利を「いま」という瞬間の利益だけで考えるなら、人間の判断もリスやライオンの判断もそう大して変わりはないでしょう。しかし、人間は言葉とお金を通じて多くの人と関わりながら生きている。言葉は文字になり、インターネットに載って世界中を駆け巡り、人々はそれに影響されて行動し、それとともにお金が動く。そのお金によってみんなが生きているという意味で、1人は72億の他のすべての人間と関わりながら生きています。

明日の自分の有利不利まで想像しながら結論を探すなら、自分に関わりのある人たちの利益を損なうような選択はできません。損なえば自分への信頼と支持を失い、自分の住む世界が狭まっていき、やがて居場所がなくなる。さらに、1年後、10年後、100年後まで想像して結論を出すとするなら、考慮すべき範囲はもっと広がります。もちろん100年後のことは誰にもわかりません。そこまで生き続けることもできない。けれども、100年後も今と同じように明るい太陽の光が地上に降り注ぎ、その下で私たちの子孫が自由で希望に満ちた日々を送っていて欲しいと考えるなら、「今さえよければ」とか「自分さえよければ」とか「自国さえよければ」という選択にはならないと思います。

これまでたくさんの人たちを訪ね、その人たちにとっての創意くふう・改善・改革の話を聴いて記事を書いてきました。話を聴いた人の数は1000人を下りません。その人たちの創意くふう・改善・改革から学ぶことも多かったのですが、心に残ったのは、多くの人が何年も、何十年も先を見つめて自分の進む方向を決めていたことです。100年先まで続く会社をつくりたいと言われた経営者もありました。人々のそういう意識と行動が今の世の中をつくり、後世への歴史を作っていくのだと思います。その歴史をこれからも掘り起し、記録していきたいと考えております。

作成:2015/08/24 改訂:2016/07/14 2017/05/18 2017/06/14

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